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秋村天光 小説web HOME追憶・交遊録S君のはなし (1 / 1)

追憶・交遊録|S君のはなし (1 / 1)

「プロローグ」

 また入学のシーズンがやって来た。
この季節になると、私にはS君という同級生の姿とともに、
きまって思い出されるひとつの忘れられない出来事がある。
そしてそれは、いつも苦さと大いなる可笑しさとをもって私の中になつかしくよみがえってくるのである。
それは、高校入学と同時にあった、クラブ説明会での出来事である。
中学校時代、バスケットをやっていた私は、当然のことながら『運動部ならバスケット』と内心決めていたのではあったが、
偶然廊下で合った同じ中学出身の先輩の、
「お前なら絶対良い選手になる」
との熱心な誘いについその気になって野球部に入ろうと心変わりしたのであった。
私の乗せられやすい性格は、どうもこのころからあったらしい。
さてS君はといえば、彼は同じ中学出身ではあったのだが、
1年程前に中学校が統合されたのにつれて別の学校からやってきた、
いわゆる転校生のような存在であり、クラスも別であってみればほとんど面識はなく、
話をしたのも進学相談のときが最初であった。
背は低いが、がっちりした肩の上に武骨そうな顔をのせたS君は、
その姿かたちに似ずとても気のいい男であった。
それ故付き合いは短いものの、親しくなるのは早かったのである。
そんなふたりであったから、
「俺は得意な卓球部に入る」
と言っていたが、
「野球部もいいぞ、話だけでも付き合え。入れとは言わん」
との私の強引な誘いにも、仕方なくついてきたのである。
しかし……
この直後、2年後に彼がとった行動に起因する事件が起ころうとは、
もちろんそのときのふたりには知る由もなかったのである。

「ドカチン誕生」

 さて、説明会の行われる教室に入ってみると、
すでに私たち新入生の座る場所は決められてあるようで、
そこには、緊張の色をうかべた何人かの見覚えのある顔があった。
真っ黒に日焼けした、こわい顔の最上級生が黒板を背にして座り、2年生部員が窓際に、
そして新入生が廊下側という風であった。
まもなく、猿のような顔をした小柄な主将が説明をはじめたが、
それよりも私には、
丁度私たちの正面に陣取って、椅子を反対に背もたれを前にしてまたがるように座り、
話の間中、私たち新入生にするどい視線を浴びせかけている、
ひときわ不良っぽい、ひとりの最上級生の存在が気になっていた。
やがて、一応の説明を終えると主将が言った。
「話を聞いて、入りたい者は残れ。そうでない者は出て行くように」
この言葉を聞くやいなや、それまで所在なげにしていた我がS君は、当然のように席を離れ出口へと向かった。
と このとき……
それまでは一言も発せずにいたこの先輩が、いきなりすっくと立ち上がると、
「オイお前 ちょっと待て! 入る気がないならどうして来た。
話を聞いて出て行くのはよほど俺たちが気に入らないんだな! よしわかった。
だがこれだけは覚えておけ! 
野球部にいるかぎりはこの俺が、誰にもお前に手を出させんが、ここを出て行くなら今度は俺がどうするか分からんぞ。
明日からはくれぐれも注意して俺に廊下で会わないように気をつけるんだな。さあ出て行け!」
おそろしくドスの利いた声であった。
たちまちS君は凍りついた。
いやS君ばかりではない、その場の新入生全員が一度に縮み上がってしまったのである。
本来ならば、彼のために弁明しなければならない立場のはずであり、また、その責務は充分承知している私ではあったのだが、
誰がこの状況で口などはさめようか、おそろしいばかりである。
ましてや、まだまだうぶな1年坊主である。
後にはご多分にもれず、同類となっていく私ではあるのだが、
とてもではないが、そのときの心の辞書には、恐怖の二字はあっても、勇気などという文字は、どこを探してもなかったのである。
うつむいたまま、めに涙をうかべスゴスゴともどって来たS君を、私がまともに見ることができなかったのは言うまでもない。
許せS君。
後にわかったことであるが、Yというこの先輩は、何度も謹慎や停学処分を受けている男であり、
ために籍は野球部にあるものの、部員としての活動を一時禁止されていた人であった。
こうして哀れなS君は、晴れて?野球部の一員となったのである。
しかし入部のいきさつはどうあれ、その後のS君は頑張った。
その体形と、ガニ股短足でドタドタと走るユーモラスな姿から、
誰がつけたか「ドカチン」などという、なんともピッタリな仇名まで拝命して、一生懸命頑張った。
そのかいあって、2年制になったころには、すっかり日焼けして真っ黒になったS君は、
体も一段とたくましくなり、もはやドカチン以外の何者でもなくなっていたのである。
そんなドカチンを見て、私は『卓球のことは忘れたようだな』と内心、ひとり胸をなでおろしていたのではあるが……

「吠えるドカチン」

 そして、共にレギュラーとして迎えた、3年生の春……
また、恒例のクラブ説明会の日がやってきた。
例年どうり、最上級生が教壇の前に椅子を持ち出して座り、
2年生部員が窓際、新入生は廊下側という席の配置であった。
しかし、私は教壇の前には行かず、陽の当る窓際に背を向けて、2年生部員の前に席を占めることにした。
ドカチンはと見ると、彼は新入生に相対する位置に陣取り、背もたれを前にして、椅子にまたがって座っているのであった。
『はて? どこかでこんな風景を見たような……』ふとそんな気がして、私はぼんやり彼の顔を見た。
瞬間『ああ あのときの』私の記憶はあざやかによみがえった。
陣取っている位置といい、椅子を反対にしたその座り方といい、
その上、彼らをにらむようにつきだしている顔つきまでも、
ひとつのことを除けば、まさにあの日の先輩そのものであった。
やがて、説明を終えて主将のMが言う。
「さあ説明はこれまでだ。入部希望の者だけ残れ」
この声に応じて、新入生の席からふたりの生徒が立ち上がった。
彼らわ、何のためらいもなく出口へ向かって歩いて行く。
そして、ひとりがドアに手をかけようとした、まさにこのときであった。
「コラァ お前らちょっと待て」
いきなりの大声である。
私は驚いて声のする方を見た。
何とそこには、仁王立ちになったドカチンの姿があったのである。
「出て行くのは勝手だが、お前らの顔はしっかり覚えたぞ。
明日からは、俺に廊下で会わないように気をつけろよ!さあそれでも出て行くというなら出て行け!」
ドカチンは吠えた、ドカチンは凄んだ。
慣れないセリフに多少詰まりながらも、ドカチンは頑張った。
ああ彼は忘れてはいなかった。
2年前のあの屈辱を!口惜しさを!そして今日このときを待っていたのだ。
あの日と同じ位置で同じかっこうでしかも、同じセリフを用意して。
ふたりは驚いて、真っ赤になって吠えているドカチンを見た。
しかし、ただそれだけであった。
一瞬困ったような顔はしたが、ペコリと頭を下げるとそのまま出て行ってしまったのである。
実にそこには、2年前のS君の姿はなかった。
私は、気の毒さと可笑しさに入り混じった思いでドカチンを見た。
彼は、ふたりが自分のおどしに屈し、絶対に出て行かないものと堅く信じて疑いもしなかったのであろう。
しばし呆然として出口を見つめたまま立ち尽くしていた。
それでもやがて気をとり直すと、憤懣やるかたないといった様子で、
残った新入生に向かい、ひとりで何かわめいていたが、
やがてのこと、力なく元の椅子に腰を下ろすのであった。
憮然としたその表情は、どこか淋し気であったが、私と目が合うと照れくさそうに笑うのであった。
ああ S君よ、ドカチンよ、口惜しいだろうが君には無理なのだ。
例え同じ場所に陣取ろうと、同じかっこうをしていようと、また、こわもてで、同じおどしのセリフを口にしようともである。
君とあの先輩とは、肝腎な点で決定的な違いがあったのだ。
君は迫力もあった、顔も新入生には恐ろしく見えたに違いない。
だが、持っている雰囲気が違うのである、ニオイが違うのである。
あの人には、本当にやられるかも知れないという恐怖があった。
全身から漂ってくる冷たさがあった。
君も私たちも、あのときそれを敏感に感じて怯えたのである。
しかし、元々人の良い君の身体には、どこを探しても幸か不幸かそんなニオイなどはみじんも漂ってはいないのだ。
そうなのだ、彼らにしても瞬時に悟ったに違いない、君が、決してそんなことのできる男ではないことを。
許せドカチン、君にそんな行動をとらせ、またそのことにより下級生の前で面目を失わせ、
恥ずかしい思いをさせたのもすべては私の所為なのだ。
だがこれで良かったのだ、君と同じ思いをする者を二度と出してはいけなかったのであるから。
その後ドカチンが、あのふたりに何もしなかったことは言うまでもない。

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