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秋村天光 小説web HOME追憶・交遊録光子 君は生まれてくるのが早すぎた (1 / 1)

追憶・交遊録|光子 君は生まれてくるのが早すぎた (1 / 1)

 時代は人を創り育てる、そして時として人を殺す。
 私には後者においてそう思わずにはいられない悲しい思い出がある。
・・・・・・・・・・・
 光子(仮名)は、小柄だが敏捷そうな身体に、くりくりしたかわいい目が印象的な、
 ショートカットの髪が良く似合う、とても明るく活発な女子生徒であった。
 その上負けず嫌いで、曲がったことも大嫌いという正義感の強い少女でもあった。
 ために、クラスの少々不真面目な男共は一応に光子を煙たがっていた。
 私もその例外ではなかった。入学当時から私は良く光子に叱られた。
 野球部に入部した私は、いや私だけではないが、1年生には練習前のグランド整備が義務付けられていた。
 先輩部員の出が早いためその前に行うには放課後の掃除をしている時間はなかった。
 理由はどうであれ、誰であれ遅れる訳にはいかなかった。
 一人遅れれば、1年生の全員責任となり皆に迷惑がかかってしまう。
 また、掃除をしないことは野球部員にとっては当然のことのようにも聞いていた。
 言ってみれば暗黙の了解と言うことらしかった。
 しかし、これはただ先輩達の勝手な言い草であったことを、
 後に私は、担任の教師に壁に押し付けられて、
 死ぬかと思うほど首を両手で締め上げられるという好意により知ることになるのだが……
 必然的に私は掃除をさぼって教室を抜け出す訳であった。
 そんな私に他の生徒達は男女を問わず誰も文句を言う者はなかった。
 しかし光子は違っていた。
「駄目よ! ちゃんと掃除をしてから行きなさいよ」
 光子はいつもそう言って私を止めた。
 だが私はほとんどの場合それを無視して途中で逃げ出した。
 悪いとは思ってはいたがやはり光子より先輩の方が断然怖かったのである。
「悪い悪い」
 その度に、私は出来るだけそう済まなそうに言い、振り返って手を振った。
 そこにはいつも光子の悔しそうな顔があった。
 だが、そうした表情とは裏腹にその目は笑っているようにも私には見えた。
「まったくしようのない人ね……」
 そう言っているように見えたのである。
 また、どう言う訳か光子は良く私にからんだ。
 私が当時流行りの歌を口ずさんでいると、
「そこ違うよ、秋村君は音痴だね」
 などと、女子生徒の中でただ一人の君付けで私の歌をけなすのである。
 私は自分でも歌はうまいと思っていたし、いろんな新入生歓迎会でもうまいと褒められてもいた。
「じゃあお前が歌ってみろよ」
  ムッとして私が言うと、
「私は歌わない、でも違うのは違う」
 と光子はあくまでも強情だ。
 そして、何がおかしいのか愉快そうに笑うのである。
 また挨拶が変わっている。
 他の女子生徒は朝など道で会うと、
「お早う」
 これが普通であるのだが、光子はいつも、
「よう!」
 と、まるで男のような調子である。
 しかし、私と光子の接触は決して多かった訳ではなかった。
 他のクラスメイトの女子生徒に比べればむしろその機会は少なかったと言っても良い。
 それは私が光子を苦手に感じていたためであり、
 いつもそのきらきらとした真っ直ぐな視線から逃れたがっていたからである。
 だが、私は苦手に感じる反面そんな光子が好きであった。
 恋とか愛とか言うものではない、光子という人間が好きだった。
 それはほとんど異制を意識しない感覚であった。
 そんな光子が、一躍校内一の有名人になったのは、夏休みを目前にした一学期の終わり頃であった。
 いきなり柔道部に入りたいと言い出したのである。
 我が校自体は、体育の授業には柔道を取り入れているほど柔道好きであったが、
 無論男子のみであり、当然女子柔道部などはなかった。
 それに、そもそも女が柔道をやるなどと言えば、まだまだ変人扱いされていた時代でもあった。
 ましてや封建制の高い田舎の高校のことである。
 当然職員室はゆれ、教師の意見も様々に分かれた。
 生徒達も一斉に光子に好奇の目を向けた。
 女子生徒達の中には応援しようと言う動きもないではなかったが、
 これとて表立っての動きではなくほんの小さな力でしかなかった。
 それどころか、同じクラスメイトの中にさえ、
「女のくせに馬鹿じゃないか……?」
 などと言う陰口を聞く男子生徒もいたし、
 噂を聞いて先輩男子がわざわざ教室まで光子の顔を見に来ることもあった。
 そんなことはまだ良い方で、中には面と向かって、
「そんなに男に触りたいなら、いつでも俺が相手をしてやろうか」
 などと卑猥な冗談を言ってからかう心無い者まであった。
 そんなとき、光子はいつも口惜しそうな顔をしてグッと唇を噛み締めるのだった。
 また、当事者の柔道部員達の中にも、
「入ってきたら寝技を教えてやるか……」
 などと戸惑いとも本気ともとれる軽口をたたく者もあった。
 まさに光子は四面楚歌の状態にあった。
 学校側が許可しないのは、表向きはどうあれ、
 柔道部内の風紀が乱れるというのがその最大の理由であるらしかった。
 親が呼ばれたという噂も聞いた。
 私はそんな光子がかわいそうでならなかった。
 しかし、私とてまだ何も分からない1年生である。
 ただじっと見守っている他はなかった。
 教室や廊下で顔を合わせる度に、
『負けるなよ! 頑張れよ!』
 と心の中で呼びかけて笑顔を向けるのが精一杯であった。
 光子はそんな私にいつも気強く笑って見せた。
 そして光子はがんとして意志を貫いた。
 夏休みも終わり、2学期が始まってすぐのある日、
 私は柔道着を着た光子が体育館へ向かうところに出会った。
 光子は少しはにかんだ笑顔を見せて私に手を振った。
『ああ、入部出来たんだな……良かった!』
 と私は心から思った。
 それからしばらくは光子の姿が体育館にあった。
 だが、それはポツンと一人淋しそうに男子の練習を見ているというものであり、
 光子が何か練習と言えるようなことをしている姿を見たことはなかった。
 嫌、正確に言えば、
 部活で忙しい私が、たまたま見たときがそうであっただけなのかも知れないのだが……
 私にも変化が起きていた。
 3年生部員が引退し、ポジション変更などで1年生にもレギュラー取りのチャンスが巡ってきていた。
 私はいつしか光子のことをあまり気にかけなくなっていた。
 光子の異変に気がついたのは、秋季大会が終わってそろそろ冬の気配が近付いてきた頃であった。
 光子は妙に元気がなくなり、私に軽口をたたいて突っかかってくることもなくなった。
 口数も少なくなり、教室でも誰とも話をせずにただぼんやりと机に座っていることが多くなった。
 そこにはあれほど活発で明るかった光子の姿はなかった。
 何故だ? やっと希望が叶ったはずなのに……
『先輩部員達にいじめられているのだろうか……』
 ふと寝技云々と言う言葉が頭に浮かんだ。
 私が部室でユニフォームに着替えているとき、
 その裸の腹に、火のついた煙草を押し付けたある先輩柔道部員の顔が浮かんだ。
 私は、何人かいるクラスメイトの柔道部員の中から、Yを選んで聞いてみた。
 Yが密かに光子に好意を持っていることを私は知っていた。
 Yは私を教室の隅に連れて行くと、辺りを気にしながら小声で練習風景を話した。
 その話し振りも表情も苦渋に満ちていた。
 私はYが今にも泣き出すのではないかと思った。
「あれでは可哀想だ……もう退部した方がいい……」
 Yは最後にそれだけ言うと私の側を離れていった。
 私はその後姿を見送りながら、
 縦社会の運動部にあっては、先輩部員に何も言えない下級生部員の悲しさを思った。
 Yの話はこうだった……
 顧問の先生がいるときは良いが、いなくなるとただ畳の外で見ていることを命じられ、 先生が戻ってくると、慌てて受身の練習をさせるのだと言う。
 あるいはまた、気が向くと畳の上に引っ張り出しては技をかけ、転がし、
 時にはそのまま無理やり押さえ込んだりもしていると言う。
 それは練習とか段取りなどとは程遠いものであるらしかった。
 どうやら、光子をやめさせることが柔道部の総意であるらしく、
 これらの行為は、そのためのいやがらせであるとYは言った。
 私は怒りと光子への同情で全身が熱くなった。
 冬休みが近付いて来るにしたがい、光子は段々学校を休みがちになった。
 退学するのではないかと言う噂も流れた。
 気がかりではあったが、しかしそれを直接私が光子に問うことはなかった。
 結局冬休みが終わっても光子は学校に出て来なかった。
 それきり光子の姿は私の前から消えた、退学したのだ。
 私の心にポッカリと穴が空いた。
 それからすぐに光子が東京へ行ったと聞いた。
 転校ではなくそれは一足早く社会に飛び立つものだった。
 私は光子のその転身の成功を祈らずにはいられなかった。
 そしていずれまたいつの日か、
 あのキラキラとした目で真っ直ぐに見つめられる日がくることを願った。
 ああ、しかし……
 その私の祈りも願いも永久に叶うことはなかった。
 光子は16歳の命を自らの手で大都会の海に棄ててしまったのだ。
 私がその哀しい知らせを聞いたのは2年生の秋だった。
 朝から冷たい雨が降り続いている肌寒い日であった。
 実に光子が東京へ行ってわずか半年後のことであった。
 自殺の原因は男に騙されてのことだと言う話であった。
 そして東京湾で変わり果てた姿となっているところを発見されたのだと言う。
 たちまち光子の噂が再び校内中を駆け巡った。
 しかし、その噂の中心にあるものは、哀悼と言うにはあまりにも騒がしすぎ、
 ほとんどが野次馬的好奇心が巻き起こしているもののように私には思えた。
 そう、あの、柔道部へ入りたいと言い出したときのように……
 私は、その日一日光子の噂の輪を離れて沈黙を守って過ごした。
 授業中も気が抜けたようにぼんやり窓の外の雨ばかり眺めていた。
 その降りしきる晩秋の雨がより私の気持ちを重くした。
 視線の先の無人のグランドには、バックネットが何の防禦もなく冷たい雨にたたかれていた。
 私にはその姿が光子の孤独な心と重なって見えた。
 光子が見ず知らずの東京でどんな思いで死んでいったのかと思うと可哀想で悔しくてならなかった。
 そして、柔道着姿で私に手を振っていた光子のはにかんだ笑顔がいつまでも消えることはなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 光子の死は自殺には違いない。
 新たな希望を見いだそうと、夢を求めた大都会はそれでも光子に冷たかった。
 田舎育ちの純で一本気な心は、それ故に耐え切れなくなって折れてしまったのであろう。
 しかし、私は光子は時代に殺されたと思っている。
 生まれてくる時代が早すぎたのだ。
 今なら、嫌せめて後20年遅く生まれていたら……
 あるいは、女子柔道に偏見のない、もっと都会で育っていたら……
 そう私は思うのである。
 数十年経った今でも、私は女子柔道のニュースを見聞きする度に、
 あの、柔道着姿ではにかんでいた光子の笑顔をいつも思い出す。
 そしてそれは、かつて私と親しかったどの女子生徒の姿よりも鮮明な映像で蘇ってくるのである。

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