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オリジナル小説|未来売ります (1 / 1)

 エレベーターもない、古いビルの階段を、飛び上がるように昇って三階に上がると、
その部屋はすぐに分かった。黒のプレートに、金文字で「未来社」と刻印が打ってある。
『本当にあったぞ! 間違いない』S氏は、喜びで踊りあがりたいような心境になった。
実のところ、思い切ってここまで出かけてきてはみたようなものの、内容が内容だけに、
内心では『やはりただのいたずらではあるまいか』と言う疑念があったのも事実だった。
S氏はドアのまえに立った。『ドクン ドクン』心臓が大きく鼓動しているのが分かる。
そのまま少しの間ためらっていたが、やがて意を決したようにひとつ大きく息をすると、
その鉄製のドアをノックした。握った拳には汗が滲み、心臓が更に早鐘のように打った。
「はい、どうぞ」
中から、中年の男のものらしい声が返ってきた。
『ガチャリ』
「お邪魔します」
S氏は、震える手でドアを開け、期待で緊張しながらおずおずと室内に足を踏み入れた。
すると、すぐにワイシャツにネクタイ姿をした、さっきの声の主らしい小柄な男が、
座っていた壁際の机から席を離れると、軽い足取りでS氏の傍まで来てその手をとった。
「ようこそ、さあどうぞどうぞ、選りすぐりの未来を取り揃えてありますよ」
まるで日常の何でもない商品を売るような調子である。
「あ、あのー……まずはお話を聞いてから……」
男のあまりにも軽い調子に、S氏は慌てて言った。
「はい、勿論です。まあ、どうぞこちらへおかけ下さい、今コーヒーでも入れてきます」
男はそう言いながら、外国製らしい、年季の入った皮張りのソファにS氏を座らせると、
そちらに給湯設備でもあるのか、そのままの軽い足取りで奥の部屋に入っていった。
茶色のクッションを背に、その、日本人には少し大きめのソファに腰を下ろしたS氏は、
落ち着かない様子で、アイボリー系の壁に囲まれた室内を、不安げにぐるりと見回した。
窓に近い 壁際の大きな机の上に、何故か電話機が2台と、書類や事務用品などと共に、
テレビモニターに似たスクリーンが一つ置いてあり、そこから長く延びたコードの先に、
ヘッドフォンのような器具を付けた、普段あまり見かけたことのない機械が置いてある。
ただそれだけの、あまりにも貧相な部屋である。S氏は段々不安になってきた。

『未来売ります』それはまことに奇妙なチラシであった。
この日の早朝、目覚めると共に、いつものように玄関に新聞を取りに行ったS氏は、
その差込口に、折込とは別の、派手なカラーのチラシがはさまっているのに気がついた。
S氏は何となく妙な気がして、ドアを開けると他の住民の玄関もそっと見回してみたが、
見たところ、自分のところ以外には、そんなチラシがあるような様子にも見えなかった。
S氏はこのアパートではかなり早起きの方である為、いつも同じ階の住民のところには、
配達されたばかりの新聞がそのままの状態で入っているのを見かけることが多いのだが、
案の定この日もそうで、他のどの住人の玄関の差込口の新聞も、まだ手付かずの状態で、
その3分の1ほどが表に顔をのぞかせているのだった。S氏はチラシを手に取ってみた。
それにしても何とも派手なチラシである。まるでネオンサインのようだとS氏は思った。
「あなたの未来を交換しませんか?」
朝食の後、狭い畳の部屋には不釣合な、先日リサイクルショップで買って来たばかりの、
長いソファに腰を降ろして、チラシを眺めたS氏の目にこんな見出しが飛び込んできた。
そして、次のような文句が後に続いていた。
・当未来社は、ご自分の未来に夢や希望をなくしておられる方々に、最新の技術により、
ご要望に応じた別の未来と交換いたしております。交換後不用になったあなたの未来は、
当社にて、その内容の良し悪しに関わらず、すべて一律一万円にて下取りいたします。
ただし、一度交換された未来は、二度と交換、あるいは元にもどすことは出来ません……
云々・
『やった! これか?』S氏は思わずチラシを握って座り直した。やっと来たと思った。
それは、3ヵ月ほど前の夜のこと……
会社が終わって、いつものように一杯引っかけ、ほろ酔い機嫌で歩いているときだった。
某銀行の閉まったシャッターを背に、影のように立つ老婆の易者を見かけたのであった。
折りたたみ式らしい机の上に、筮竹やら算木やら、天眼鏡やらが置いてあるのが見える。
『あれ? こんなところに珍しく易者がいる……それもかなりの婆さんのようだが……』
そんなことを思いながら、S氏はついふらふらと引き寄せられるようにその前に立った。
やはりかなりの年齢のようで、傍で見ると、顔や首に幾本もの深いシワが刻まれている。
「何をみて欲しいのかな?」
シワに囲まれた口元が動いてそこから出てきた声は、歳相応のシワガレ声ではあったが、
見かけの姿からは想像できない、抑揚のあるはっきりとした聞き取りやすいものだった。
「えーと……あのー……」
さてそう言われるとS氏も困った。特別何か占って貰おうと思っていた訳ではないのだ。
S氏はもぞもぞと口を動かした。
「ああ いいよ、見料はいらないからちょっとみせておくれ」
老婆の易者はそう言うと、天眼鏡を取り上げて、いきなりS氏の顔を覗き込んだ。
反射的にS氏は腰を引こうとしたが、良いの為か、思ったほどその身体は動かなかった。
老婆の易者は、S氏の顔をじっと見ていたが、やがて何を思ったのか天眼鏡を下におき、
少し首を傾げると、今度は筮竹を取り上げ、両の掌でジャラジャラともみ出した。
そして、慣れた手つきで、それを半分くらいに分けたり、何本かづつ指にかけたりした。
そうして筮竹が終わると、次には、机の上の拍子木のような3個の算木を動かし始めた。
初めて間近に見る本格的な易の動作に、初めは腰を引きかけたことなどすっかり忘れて、
自分を占って貰っているということもあり、いつしか真剣な表情で見ているS氏だった。
やがて老婆の易者はゆっくりと顔を上げ、いかにも易者らしい口調で言った。
「ム フ フ ……どうやらおまえさんは、あまり働くことが好きじゃないようじゃな。
それにこれまでの人生もたいして面白くもなかったようじゃが……そうじゃろうて?!」
老婆の易者は、さも意味あり気な含み笑いをしながらそう言った。
言われるまでもなく、確かにS氏のこれまでの人生はまったくつまらないものであった。
3流の大学を出て、やっと3流の会社に入り、3流の仕事をし、妻もなく、友達もなく、
勿論恋人などはいようはずもなく、第一もてたことがない。同僚と遊ぶこともしない。
楽しみと言えば酒とギャンブルだが、これとてただやみくもなので勝ったことがない。
従って金もないのでずっと同じ安アパートに住んで、そこを出ることも出来ないでいる。
そうして、42歳になる今日まで、パッとしない人生をただ漫然と生きて来たのである。
 そんなS氏であったから、社内においても、同期に入社した連中はもちろんだったが、
若い後輩連中がどんどん出世して行くのに対して、S氏は未だに平社員のままであった。
 こうなると、当然の成り行きとして、よけいに女子社員からは相手にもされなくなり、
いつしか、S氏を冗談にでもお茶に誘うような、そんな物好きな者もいなくなっていた。
『俺はついてない』と言うのがS氏の口癖であった。しかしながらそれは本当のことで、
子供の頃からずっとここ一番というときになると、必ず失敗してチャンスを逃してきた。
従って、内心では『なーに今に見てろよ! チャンスをつかんでいつか俺だって……!』
と言う思いがあったことは事実である。ただ、だからと言って、その為に努力するとか、
何かに傾注して自分を磨くなどという、積極的な意志が介在するものでは決してなくて、
実は誰かが幸運を与えてくれるのをただ待つと言うだけの、いかにも駄目なS氏らしい、
いわば『棚からぼたもち』式の、真に都合の良い上昇志向に過ぎないのではあったが。
「しかし安心しなされ! そのつまらぬ人生ももうすぐ終わるじゃろうて。本当じゃぞ。
近い将来、おまえさんの身に、大変な幸運をもたらす出来事が起きるとでておるでのう」
「えっ! 本当ですか? 私にそんな出来事が起きるのですか? それはどんな……?」
S氏は『大変な幸運』と言う言葉に思わず身を乗り出した。
「不思議じゃが本当のことじゃ! 卦にそう出ておるんじゃからそれは間違いはないが、
肝腎なのはな、その幸運を呼ぶ出来事を、おまえさんが見極められるかと言うことじゃ。
つまりじゃ、これからおまえさんにもいろんな出来事が起きるじゃろうが、その中には、
幸運どころか、返って不幸に見舞われるものもあることじゃろう。大事なのはそこじゃ。
おまえさんに、関わって良いものと、そうではないものとの見極めが出来るかどうか……
どうやらおまえさんは、怠け者の割には欲だけはあるようじゃでのう。ファ ハ ハ」
老婆の易者はそう言って笑ったが、その目は笑ってはいなかった。
「良いかな、『大変な幸運を呼ぶ出来事』なんぞは、たった一回だけじゃぞよ。
もしうっかりして、おまえさんがこの機会を逃がしたら永久に浮かび上がれんぞよ! 」
「分かりました! でも、だいたいいつ頃その出来事に巡り合えるれしょう……?」
S氏は恐る恐る聞いた。
「それは、さっきも言うたように近い将来と言うことしか分からん」
老婆の易者はそうあっさり答えてから、ふと心配そうな顔をして言った。
「最後にくれぐれも言うておくが、良く気をつけてしっかり見極めなされ。さもないと、最初で最後の幸運を逃がしてしまうことになるぞよ! そして、必ず焦ってはならん!」
老婆の易者は、今までになく厳しく強い調子でそう言うと、もう終わりだと言うように、
まだ何か聞きたい様子のS氏に、手の甲を見せて振ったのであった。
『あのときの老婆の易者が言った、幸運を呼ぶ出来事とはこのことかも知れない……!』
思えば、あれからもう3ヶ月になるが、未だにこれという出来事は何一つ起きていない。
占いが本当なら、もうそろそろ起きても良い頃ではないかとS氏は思うのである。
『あのとき確かに、良く見極めるようにとあの老婆は言った。そうだ! 普通の人間は、
こんな馬鹿げたチラシなどは、まず捨ててしまうに違いない。なるほどそういうことか、
見極めるということはこういうことだったのだ! ……そうに違いない』S氏は思った。
S氏にしても、最初からあの老婆の易者の言葉を全面的に信じていた訳ではなかったが、
幸運に巡りあいたいという強い気持ちが、徐々に信じる方向にS氏の心を傾かせていた。
そこへこのチラシである。『騙されたと思って行ってみるか……』S氏は立ち上がった。
今日が会社の創立記念日で休日となっていることもS氏の決断に拍車をかけていた。

「それで、本当にそんなことが出来るのですか? またどういう仕組みに……?」
 運ばれて来たコーヒーを一口すすってから、S氏は落ち着かない声で聞いた。
「はい、どうぞその点はご心配なく。ナサで密かに開発したもので、すでに世界各国で、
数多くの方々が利用されています。まずは、お客様のご希望に沿った未来をお選び頂き、
それと、現在進行中のお客様の未来とを、あそこにある機械を使って交換するのです!」
と、壁際にあるヘッドフォンのようなものをつけた機械を指して言った。
「はい、痛いこともかゆいこともありません。その交換時間は約10分くらいですか……
交換後不用になった未来は、当社にてすべて一律1万円にて下取りいたします。そして、
それを本部にて査定した後、内容に合った価格をつけてラインアップに加える訳ですが、
その下取りした未来がどのようなものであったかとか、または査定価格などについては、
これはビジネス上の問題になりますのでお教えすることは出来ません。ですので例えば、
お買い上げ頂いた未来より、下取りした未来が査定後数倍の値で売られていたとしても、
申訳ありませんが一切苦情はお受け出来ませんので、その点どうぞご了承下さい」
 スクリーンの置いてある机の椅子に腰をかけて、すでに何かの検索をし始めたらしく、
細かい文字が表示されている画面を操作しながら、男は笑顔でよどみなく答えた。
「……ああ、そう言うこともあるわけですか……!」
「はい、そう言うことも稀にはない訳では…… まあ一種の賭けとも言える訳ですが……
でもほとんどの場合、交換されて正解だったと言うことの方が圧倒的に多いのですよ! 
さてどうなされますか? 私共では無理にお勧めすることは決して致しておりませんが、
今の境涯から抜け出したいとお考えなら、ご予算に応じて今すぐにでもお選び頂けます。お客様は例えばどのような未来がご希望でしょうか?」
「はあ、そうですねえ、私はこれまでまったくパッとしない人生を歩んできましたので、恥ずかしい話ですが会社の連中にも馬鹿にされっ放しで……うーん、そうですねえ……
出来れば何かこの、皆をあっと言わせるようなものが……」
と、男のなめらかな口調に乗せられて、ついS氏は本音を吐いた。
「ではこれなんかいかがでしょう? お値段のところはぐんとお手ごろな8万円ですが、
なかなか経験出来ない未来ですよ。先月本部から回って来たものですが……」
男は素早い動作で一つの画面を選び出すと言った。
「はあ、それはどんなのですか?」
「いやあこれは素晴らしいですよ! こんなのはなかなか経験出来るものではないです。
アルカイダに入って自爆テロするんです」
「えっ、アルカイダで自爆? い い や、いくら経験できないとは言ってもですねえ、そ そんなのは困ります」
S氏は蒼くなって慌てて手を振った。
「そうですかあ、それは残念ですねえ。皆あっと言うと思うのですがねえ……」
 その声は本当に残念そうであった。
「いえ、そんなようなものじゃなくて、もっと穏やかな人生で、それでいてですねえ……
あまり普通の人は経験できないようなものはないですか?」
S氏の声も段々真剣味をおびてきた。
「穏やかであっと言わせるものですかあ? ちょっと待って下さいよ……」
そう言って男はあちこちと検索していたが、
「では、こんなのはどうでしょう? お坊さんになるという未来ですが」
「それもちょっと……あのですね、良い相手に恵まれるとかですねえ……」
「そう言うことでしたら、えーと確か良いのがあったはずですが……どこだったかなあ?
 ああ ありましたありました!」
 男は嬉しそうに言い、新たに開いた画面を見て付け加えた。
「いやあこれはほんとに掘り出し物ですよ! なんと有名女優と結婚出来る未来です。
しかも値段はぐーんとお得の30万円です。どうですか?」
「えっ! 女優さんと結婚出来るのですか! ほ ほんとですか? それは……
だ 誰ですか? それで良いです、それにします! 」
S氏は叫んだ。S氏は吠えた。頭にはすでに何人かの美人女優の顔があった。
半年後、ある日のスポーツ紙の芸能欄に、こんな記事が一斉に踊った。
「恋多き女優。。さん、電撃結婚!」
恋多き女優として有名な。。さんが、ついに念願の三度目の結婚をすると発表した。
お相手は、都内在住の商事会社サラリーマンのSさん(42)であると言う。
どのようにして知り合ったのかなど詳しいことは、後日記者会見で話す予定だが、
彼女にごく近い方の話によると、すでに婚姻届は住所のある区役所に提出されており、
その際、この先を心配することがなくなったということで、同役所を通じて、
全財産を難民基金に寄付することも申し出ていると言う。云々
そして、この記事と一緒に掲載されている写真には……
しわだらけの顔に満面の笑みをたたえて、にこやかに微笑む老女優の顔と、
その横で何とも情けない表情をしたS氏の顔がデカデカと写し出されていた。
その頃未来社では……
「これなんかどうですか? 半年前、あるサラリーマンの方から入手したものですが、
以外にもこれがなかなかの掘り出し物でしてねえ! 何とも思いがけない出来事から、
それはもう大変な幸運に恵まれるというものでして……えっ お値段ですか? はい、
1000万円です。少々お高いですが絶対お買い得だと思いますよ!」

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