「序曲 その1 決断のとき」
「それで、どうしたいの?」
尚美は疲れたように言い、財布から500円を取り出して机に置いた。
「私のコーヒー代、きょうはこれで帰るね」
尚美はそう言うと、僕と目を合わせずに喫茶店を出た。
僕が尚美の笑顔を奪ってしまってからどのくらいたつだろう。僕はもう決断しなければならない。
そしてその決断とは戦いの始まりでもある。
その結果がどういうことになろうとも、尚美の笑顔を取り戻す義務が、僕にはある。
『尚美、すまない、待っていてくれ、必ずいつか……』
窓の外を見たが、もう尚美の姿はどこにもない。
ようやく青い芽をつけ始めたばかりの 街路樹を、雨が激しくたたいている。
『あの雨が僕だ』
そんな気がした。
「それで、どうしたいの?」
帰り際の尚美の言葉が胸に突き刺さる。
本当のことが言えたら、どんなに楽だろう。
『ブブー ブブー』
いきなりの振動音が僕の思考を打ち破った。
ほとんど口をつけていないであろう、尚美のコーヒーカップに目をやりながら、
僕はある予感をもってゆっくりとバッグに手を伸ばした。
着信の番号には見覚えがなかった。
しかし、僕にはそれが『彼』であることがわかった。
受話器を握る手が少し震えた。
「もしもし」
低い曇った声が僕に語りかけた。
もう後戻りはできない、僕は言った。
「高山さんですね? 僕はやっぱり行くことにしました」
尚美はこの高山の存在を知らない。
尚美は彼が実父だということを知らない。
知っているのは、僕と尚美の母親、尚美の母親の友達でもある僕の母である。
双方の母親が友達だったので尚美の事は幼い頃から知っていた。
しかし、僕の家が転勤で10年ほど地方に住んでいたために、
8歳から会っていなかった尚美と18歳で再会したのだった。
僕たちは、やがて付き合うことになり、もう6年がたつ。
僕は尚美を大事にしていたし、尚美も僕を必要としてくれていた。
僕たちは恋人同志であったが兄弟のようでもあり、とても仲が良かった。
二人の間には何も問題がなく、未来に対しても何も不安を感じていなかった。
そう、あの日、母が深刻な顔をして僕の部屋に来るまでは……
「序曲 その2 尚美の両親」
その日は、ちょうど尚美が沖縄旅行から帰ってくる日だった。
「ねえ正樹、尚美ちゃんは、きょう帰ってくるんでしょ?」
母は、部屋に入るなりいきなりそう僕に尋ねた。
「ああ、これから迎えに行くところだよ」
僕は、剃り終わったばかりの電気カミソリをケースにしまいながら答えた。
「それなんだけど、尚美ちゃん、向こうで何か変わった事なかったかしら?……」
そう尋ねる母の声は、どこか落ち着かず震えていた。
「いや、別に何も聞いてないけどどうして?」
「実はね正樹、驚かないで聞いて欲しいんだけど」
そう前置きして語りだした母の話は、しかし僕を驚かさずにはおかなかった。
それは、ざっとこんなような内容であった。
尚美は父親の顔を知らずに育った。
1歳の時に亡くなったという父の出身は、沖縄だと聞かされていた。
尚美の母は一人っ子で、そこそこの資産があり、
なおかつ、会社経営をしていて成功した独身の親戚の遺産が母に舞い込んできたために、
贅沢さえしなければ、母と子が生涯暮らしていけるようなお金はあった。
尚美は母が父の話をしたがらないので、幼い頃からなるべくきかないようにした。
しかし、何か深い事情があるように感じていた。
「実は尚美ちゃんのお父さんは生きているのよ」
母はそう言った。
尚美の両親は、お互いが22歳のときに知り合った。
尚美の父親は沖縄の小さな離島の出身だったが、
本島で働いていて、沖縄に一人旅をしていた、尚美の母と知り合って恋に落ちたのだった。
誠実だった尚美の父親は、自分の『出生の秘密』を最初から尚美の母親に話した。
そして二人はそのことに対して何度も何度も話し合った。
しかし、結論は出ないままに月日は流れ、尚美の父親のいう『その年』は近づいてきた。
『その年』とは25歳であった。そう、尚美が来年迎える年と同じである。
母は話しながら泣いていた。
僕の頬にも涙が伝った。
「わかったよ母さん、今は僕が、尚美の傍にいない方がいいんだね」
長い母の話が終わると、僕は夢から覚めたように立ち上がった。
そして尚美を迎えに行くため外に出た。
何も知らない尚美の無邪気な顔が、涙の向こうに浮かんで消えた。
「雨の再会・勧進帳の絵馬」
正樹と別れた後、尚美は一人雨の中を歩いていた。
あふれそうになる涙を懸命にこらえながら、ただ歩いた。
どうしてこんなことになってしまったのだろう? ……
今日も正樹は何も答えてはくれなかった。
そして、自分もまた、あんな言い方しかできなくなっている。
尚美の胸は、深い哀しみと、言いようのない孤独感で震えていた。
ふと、誰かの傘が、尚美の傘の上にかぶさった。
尚美は驚いてその傘の主を見た。
「あれっ、水島さんじゃないですか?」
背の高い、その傘の主は、いかにも驚いたといった調子で言った。
見たところ50前後であろうか、スーツを着、きちんとネクタイをしている。
しかし、真っ黒に日焼けしたその顔は、サラリーマンとも見えなかった。
「えっ? ……」
怪訝そうに見上げている尚美の顔を、男はちょっと眩しそうに見ながら、
「水島尚美さんでしょ! ほら、沖縄で……」
「沖縄?! ……」
尚美の脳裡で何かがはじけた。
そうだ、沖縄だった!
正樹の様子が変わったのは、自分が沖縄旅行から帰ってからだった。
「思い出されましたか? あのときは大変でしたねぇ」
男は人懐っこい笑顔を見せて言った。
尚美は自宅に戻った。
母の由紀子はどこかへ出かけたらしく留守だった。
尚美は、着ているものを脱ぎ捨てると、下着だけになってバスタブに湯を張った。
考え事は、事情が許す限り、いつも湯の中と決めている。
尚美は、バスタブに身を沈めると、ゆっくり目を閉じた。
帰り道で出会ったあの男性は、自分は「村井」だと名乗った。
しかし尚美にはその名前にも顔にも覚えはなかった。
ただ、彼が言った『あのとき』の事は鮮明に覚えている。
だが、このことは、正樹にも母にも話していないことだった。
それは、名も知らないある神社に飾られていた、一枚の『絵馬』を見上げていたときだった。
図柄は、歌舞伎などで有名な『勧進帳』の一場面をあらわしたもので、
修験者姿の弁慶が、同じ姿をした義経を、恐ろしい顔をして金剛杖で打ち据えているというものだった。
かすかに読み取れる「昭和三十年四月三日奉納」とあるように、
ほぼ50年が経過しているためところどころ色あせていた。
しかし、心ならずも主人を打たねばならない、その『弁慶』の苦悶に満ちた表情が、
今なお生き生きと伝わってくるようだった。
その絵馬をじっと見つめていた尚美は、急に何か異様な感覚にとらわれ始めた。
もちろん、誰が奉納したものかなどは、尚美にわかろうはずもなかったが、
何か妙に懐かしいような、それでいて、見ていることを拒否するかのような……
それは、かつて経験したことのない、まったく不思議な感覚だった。
瞬間「それを見てはいけない!」という声が聞こえたような気がした。
尚美が、急に眩暈を起こして倒れたのはそのときである。
村井は、そのとき助けてくれた何人かのうちの一人であったらしいのだが、
意識が朦朧としていた尚美には、覚えがないのは当然だった。
「ユタの章 その1 さくの決意」
尚美の父、高山周造はユタ(沖縄の霊媒師)の家系の子孫である。
話は周造の祖父の時代である明治時代に遡る。
周造の住んでいた小さな離島はユタを中心とした小さな集落であった。
周造の祖母『さく』は優れた霊力を持ち、島の人たちから多大な信頼を集めていた。
島の人はみな穏やかで争いもなく暮らしていた。
しかし、さくは、幼少時代から荒々しい性格であった次男『大二』のことをいつも心配していた。
さくの産んだ子供は、長男、洋平、次男の大二、そして周造の母である清子である。
『この子はただならぬものを持つ人間かもしれぬ』
さくはその大二の魂の粗暴さをなんとか鎮めようと、毎日神々に祈りをささげていた。
だが、大二は成長と共に、粗暴によってさまざまな問題を起こすようになった。
そして、ユタの家系であるためか、いくつかの霊的な力を使う事が出来た。
本来人を幸せに導くことに使うためにあるその霊力を、
大二は、気に入らない人間に対して、見せしめや復讐に用いた。
大二が、20歳の時だった。
さくはユタとしての使命と、島の人達のために、ある決心をした。
だが、さくの決心に気がついた長男の洋平は、
ユタとしての母を守るために、自分があらゆる犠牲を払うと言った。
洋平はとても心優しく、島の人たちと母を愛していた。
「村井良一の場合」
村井良一は沖縄に帰る飛行機の中で一人考え込んでいた。
彼は、沖縄の離島で、砂糖きび畑を大々的に経営しているのだが、
今度東京へ出てきたのも、砂糖の買い付け業者との契約のためであった。
村井が尚美と再会したのは、その用件を済ませて帰る途中のことである。
不思議なことがあるものだ……あのときの娘にまた会うとは……
あの娘に初めて会ったのは、三ヶ月ほど前のことだ。
私用で、同じ島の出身である、本島の友人を訪ねた日のことだった。
そのときふと話題に出た『勧進帳の絵馬』を、見に行こうということになった。
それは、自分の島の、ユタの一族にまつわる、不思議な因縁を持つ絵馬であると聞いていた。
何でも、その絵馬の裏には、こんなようなことが記されているといわれていた。
『我これを造りしは ひとえに我が一族の安泰を願う為也』
『故に 我が子孫の者に 以下の事を戒めとして記すもの也』
『一つ 男二十一歳女二十五歳を過ぐるまでは 何人たりとこれを見る事を禁ず』
『一つ この戒めを破りし者は 災いを受くる事必定也』
『一つ 但し この災いより唯一遁れる法有り』
『一つ その法については 口伝を以って伝えおくもの也』
ざっとこのようなものであったか。
もちろん自分は直接読んだ訳ではない。
ただ、どういう訳か、自分が子供の頃には、島の年老いた者は皆知っていたらしく、
自分も祖母からユタの不思議な話として、子守唄代わりによく聞かされていたものだが、
子供心にも恐ろしく思ったもので、従ってあの日までは一度も見たことはなかった。
その絵馬は、明治の半ばから終わりにかけての頃に、
ユタの一族の誰かの手により造られたものであるらしかったが、
昭和30年頃に、当時の当主によって、今の神社に奉納されたと聞いていた。
それを見に行ったとき、あの娘が倒れているのを発見したのであった。
自分たちは、通りかかった車を呼び止めて近くの医者に運び込んだ。
そのとき、彼女が『水島尚美』という名であることを知った。
幸い、貧血を起こした程度ということがわかって、自分たちは引き上げたのだったが、
何か妙な気がして、結局あの神社へ戻ることなく、その足で島に戻った。
そして、もう一つ気になることがあった。
その夜、たまたま電話をかけてきた、子供の頃からの友人の高山に、
彼がユタに繋がる一人と知っていた自分は、彼にこの話をしたが、
彼の慌てたような様子は、いつもの高山のそれではなかった。
いったい、あの『水島尚美』という娘は……
村井がそこまで考えたとき
「当機は間もなく那覇空港へ到着します」
といううアナウンスが流れ、村井は思考を中止してシートベルトに手をかけた。
「ユタの章 その2 呪い封じ」
さくの決心とは、自分が母から教わった霊力の封じ込めである。
それは双方に大変な危険が伴うために、さくの母はそれをさくに伝授するのを渋っていた。
しかし、さくの母は亡くなる一週間前に、それをさくに伝授すると言った。
さくの母もまた優れたユタであった。
何か予感のようなものがあったのだろうか。
洋平はその事をさくから聞いていた。
そしてその危険を母に与えたくないと思った。
さくは、島の人にとって大事な存在だった。
洋平は、さくの助けを借りながら大二の霊力の封じ込めを始めた。
大二に気づかれると大二の持つ霊力の数倍の呪いを受ける。
その呪いによる災いは、子孫にも受け継がれるともいわれ、
何よりも、双方の生命に危険が及ぶ恐れがあった。
そして、それはきっかり1年がかかることだった。
日の暮れる頃、海沿いで、大二の霊力封じ込めの祈りの儀式は始まる。
それはできるだけ毎日のように行う必要があった。
主に洋平が中心として行うのだが、
実質的にはさくに助けられながら二人で行う儀式でもあるため、
二人はいつも慎重に大二に気がつかれないように行動していた。
しかし度重なる台風が続いたとき、儀式が滞りがちになり、二人にあせりが出始めた。
ある日、台風が止んだとき、二人が慌てて出て行く様子を見てしまった大二は、
何かおかしいと感じて後をつけ、母と兄が何をしているかを知ってしまった。
大二は洋平がさくをそそのかし、自分の命をも狙っていると思い込んだ。
そして、二人が祈る海沿いに向かった。
まず、祈りの手助けをしていたさくが大二に気がついた。
「洋平! 逃げて!」
さくの叫びは間に合わず、洋平は大二の呪いの霊力を受けてその場に倒れた。
しかし、大二もまた、洋平へかけたその霊力の強さによって、
知らず知らずのうちに、自分のすべての力を使い果たしてしまっていた。
「洋平!」
さくは駆け寄ったが洋平の心臓の鼓動はすでに止まっていた。
そしてさくは、弱り果ててしゃがみこんでいた大二の首を後ろから絞めた。
夜は更けていき、波の音のはざまに、さくの泣く声が悲しく響いた。
洋平が大二の呪いにより命を落としたのは、25歳であった。
さくは、大二の呪いによる災いが一族に及ぶ事をなんとしても避けねばならぬと思い、
その災いの封印の方法を記しておかなければならぬと考えた。
「周造の告白 その1 カリンとの出会い」
僕は、ベンツの後部座席に身を沈めながら、黙って高山の話に聞き入っていた。
これから何が起きるのか、どこへ行くのか? ……不安がより僕の耳を敏感にしていた。
運転席には、ハンドルを握る、尚美の父、高山周造がいた。
そして、助手席には、先程ホテルで紹介されたばかりのカリンが、硬い表情で座っていた。
「決心がついたようですね。
尚美を救うため、早速君にこれから行ってもらわなければならない処があります」
指定された沖縄のホテルの部屋を訪れた僕に、
高山は、いきなりいつもながらの丁寧な口調で、しかし真剣な顔でそう切り出したのである。
電話では何度か話をしたことがあり、その声の印象や、
あるいは美術雑誌などで見かけた顔とは違い、
目の前の高山は、実際の年齢よりかなり老けて見えた。
「はい、そのつもりで来たのですが、どのようにすれば良いのでしょうか?」
僕は緊張しながら訊いた。
「これまでも何度か君に話したとおり、君にとっては、尚美のためとはいえ、
ある意味尚美を裏切る行為ともなるこの儀式を、良く決心してくれました。
しかし、それらの詳しいことは、車の中で話しましょう」
高山はそう言ってから、
「ああそうだ、カリンを紹介しておきます」
と、奥の部屋に向かって、
「カリン、こちらへおいで!」
そう優しい声で呼びかけた。
「カリンです、よろしく」
『あっ尚美! ……』
少し恥らうような笑みを浮かべて現れた彼女を見て、僕は驚いて声をあげそうになった。
だが『いや、良く似ているが違う』
「僕、進藤正樹です」
僕は、一瞬の驚きから冷めると、型通りの挨拶を彼女に返した。
このカリンが、これから君が行う儀式のお相手をします」
僕は、何のことなのか、どう答えて良いのかわからず、ただ黙って高山の顔を見つめていた。
「周造の告白 その2 出生の秘密・恐ろしき予言」
車が静かに滑り出すと、高山はすぐに話し出した。
「だいたいのことは、君もすでにお母さんから聞いて知っていると思いますが……
村のため、一族のため、とはいえ、二人の息子を同時に亡くしてしまった祖母は、悲しみの中でも、二度と大二の呪いに苦しめられないようにと、ある二つのことをしました。
その一つは、祖母の母、つまり私の祖祖母ですが、その方が生前から、何か重大なことを念ずる場合には、これに命を込めなさい』
そう祖母に語り諭していた、『絵馬』そうです、尚美が見てしまったあの『勧進帳の絵馬』です。その絵馬に叔父『大二』の呪いを封じ込める事でした。
またその際、より確実なものにするために、弁慶を兄『洋平』の顔に、義経を大二の顔にと写し変えましたが、それはまったく見事に似ていたそうです。
祖母は、絵筆にかけてもかなりの腕であったようで、私が今画家になっているのも、その血を引いているのかも知れません」
そこまで話すと、高山はふと小さく吐息をついた。カリンは眠ってでもいるのか、深くシートにもたれて身動き一つしない。
初めて聞く話はもちろんだが、僕が知っている話でも、今改めて高山の口から語られると、それが当事者であるだけに、より一層の現実味を帯びてくるのだった。
「ところがです」
高山は続けた。
「封じ込めそのものは成功したのですが、思った以上に大二の力が強かったらしく、わずかではあったが、その妖気が漏れ出していることがわかったのです。
しかし、もはや疲れ果てた祖母には、それをくい止める余力は残っていませんでした。
そこで祖母は、例え一族の者が、誤ってその妖気を浴びたとしても、この程度なら、絶対影響を受けない年齢すなわち、男21歳、女25歳を過ぎるまでは、その絵馬を見る事を禁じたのです。
そしてまた、万が一、何も知らずに見てしまった者が現れたときのことを考えて、大二の災いから解き放たれる方法を残してくれたのです。
それは、大二の、他人の不幸を無上の喜びとする魂を、ある意味満足させることにより、その災いを回避するという、一見消極的とも思える方法でした。
しかし、これこそが最良の方法であり、また、これより他に手立てはないということを、長い経験から、祖母は確信していたのですね」
高山は、そこで少し間をおくと、わずかに僕を振り返るような仕草をして、また話し出した。
「ただ、君に、きょう来てもらったのは、こちらの因縁ではありません。尚美のことを聞いたとき、一時は『大変なことになった』と慌てましたが、
幸いなことに、尚美はすぐに失神したため、大して妖気を浴びずにすんだようですが、念には念を入れて、君に尚美との距離をおいてもらったという訳です。
と言う訳で、実は尚美の因縁は、もっと他にあるのです」
僕は知らず知らずのうちに、この怪奇な話に身を乗り出していた。
「さて、祖母が行ったもう一つのことですが、これが尚美に関係してくるのです。
それは、当時まだ二歳くらいであった、私の母『清子』に、ある暗示をかけるということと、その暗示に関わる予言をすることでした。 そうです、清子は、上の兄たちとは、親子ほど歳が離れていました。
幼く純粋な幼児である清子には、さほどの霊力は要らなかったらしく、弱り切っている祖母にも容易にできたようですが、ただ、その内容は驚くべきものでした。
その暗示というのは、跡継ぎがいなくなってしまった以上、いずれ養子を取らなければならない清子に、『大二の呪いは封じ込めたが、洋平を恨む魂はまだ消えたわけではない、従って、男児は決して産んではならない』というものでした。
恐ろしいのは、それに続いた予言でした」
高山は、少しためらうような様子を見せたが、思い切ったように口を開いた。
「『もしこの暗示が解けて、この娘に男児が産まれるようなことがあれば、その子は、25歳になったとき、命に関わる報いを受けることになろう。
しかし、運良くその子に何事も起きなかった切は、男女に関わらず、その子の子こそが、同じく25歳で、親が受けるはずの報いを、必ずもっと強い形でかぶることになろう』 というものであり、
しかも、これには防ぐ手立てがないということでした」
高山は深く溜息をついた。
そして、
「そうです、私はその暗示に逆らって産まれてしまったのです。しかも私は、清子が44歳のとき、蔵にあったあの絵馬を見て身ごもってしまった子なのです。私が、今もこの通り無事でいるということは……どういうことかおわかりですね……」
後ろからは見えないが、高山の顔は苦痛にゆがんでいるようだった。
「私は、何としても、尚美を救う方法を見つけなければなりませんでした。そして、つい最近ようやくわかったのです」
カリンの頭が、心なしか動いたような気がした。
「妊娠そのものは、単なる偶然かも知れませんが、照れもあってか、父が『こんなものが身近にあってはいけない』と、私が産まれるとすぐ、あの絵馬を島から遠いあの神社に奉納したのだそうです。尚美にとっては、それが仇になってしまった訳ですが……」
高山は、苦笑しながら自嘲気味にそう付け加えた。
「周造の告白 その3 苦悩」
「私がイギリスに渡ったのは、尚美が生まれて半年くらい経ってからのことです」
高山は続けた。
「尚美の母の由紀子とは、恋愛関係になってからこの件に関しては何度も何度も話合い、かなり気をつけていたのにも関わらず由紀子は妊娠してしまったのです。
それになんという因縁でしょう。由紀子が身ごもったのは私が25歳のときだったのです。当時籍は入れていませんでしたが、私たちは一緒に暮らしていました。 すぐに堕胎してほしい、と私は要求してしまいました。
しかし、絶対に産むと由紀子は言い、尚美が生まれました。尚美が生まれると、由紀子は母としての喜びを噛み締めるままに、わざと先のことを考えないようにしていたようですね。
でも私は無垢な尚美の寝顔を見るたびに、心が痛みました。 そんな折、ある方から、『イギリスで優れた霊能者を知っているから紹介する』といわれたのです。
私は藁をもすがる思いで、イギリスに渡ることにしました。 これも何かの縁だったのでしょうか。
私はその頃、趣味で描いていた絵が、日本に来ていた英国人の画廊経営者に気に入られ、イギリスの画廊で売れ始めていて、そこそこ評価され始めてきていたのです。
何より、イギリスはスピリチャルなことに対しての研究も進んでいる国です。私はここできっと尚美を救える方法があるはずだ、と確信しました。
しかし、渡英に対して由紀子は理解してはくれませんでした。別れを告げられたのです。私が悪いのです。
私が生まれてくる子供の事を考えて、すぐ堕胎を要求してしまったことも、決定的に由紀子の心に深く傷を残してしまっていました。男というのは概して少し悲観的で臆病なものですし。
それにしても、私が死んだと尚美に伝えていたとは……きっとそうでもしないと、彼女の心の区切りがつかなかったのでしょう。可哀想な事をしたと思います。
イギリスに渡った私は、紹介された霊能者を訪ねました。しかし、その霊能者は古い魂の扱いには不得手であったのです。
私は、常にそうした情報のアンテナを立てながら、売れ始めていた絵画の制作をし、語学の勉強もしないとならず、本当に飛ぶように月日は流れました。
生活にかなり余裕が出始めてくると、私は日本に頻繁に帰ってこられるようになりました。母は、身体が生まれつき丈夫でなく、10年前に亡くなりました。
母は私がユタの一族として生きていくことを望んではいませんでした。昔ほど、ユタは必要とされなくなっていたのでしょう。時代というか、もう私たち一族の使命は終わったのかもしれません。皮肉なことに呪いだけが残ってしまいましたが……
私は何度、尚美と由紀子に会おうと思ったかわかりません。でも、尚美を救うための方法がわからないうちに連絡を取る事は、私の性格上できませんでした。
でもイギリスで必ず、尚美を救える方法があると、私は当初から確信していました。私もユタの子孫です。私は今でも私が確信を持ったことは実現するという自信があるのですよ」
「周造の告白 その4 カリンの能力」
高山の話は続く。
「そしておととし、あるパーティに招待され、そこで、仲間に『カリン』と呼ばれている日本女性に出逢ったのです」
そう言って、高山は同意を求めるようにカリンに顔を向けた。
僕は、高山のその仕草につられるように、半分ほど倒したシートに、半ば目を閉じてもたれているカリンの横顔を見た。
どこか儚げではあったが、美しい横顔であった。それにしても、本当に尚美に良く似ている。
「フフフ……」
カリンの口から低く含み笑いが漏れた。同時に少し首を上げると、両手で乱れて肩にかかっていた髪を持ち上げた。
一瞬首筋があらわになった刹那であった。うなじの辺りに、何か赤いものが浮いたように見えた。いや、見えたような気がした。
『アザ? ……』しかし、再び下された髪に隠れて、うなじはすぐに見えなくなった。
「当時カリンは絵のモデルをして暮らしていましたが、生活はあまり楽ではないようでした」
高山は更に続けた。
「そこで私は、このカリンを専用モデルとして契約し、私のアトリエに住まわせることにしたのです。私の中で、そろそろ裸婦を描いてみたいという気持ちが、強くなっていたということもありました。
カリンは実際に素晴らしいモデルでした。ついでに言えば、一緒に暮らしていたとはいえ、私とカリンは、画家とモデル以外の何者でもありませんでしたので、
カリンがどんな男性関係を持とうと、身体の線が崩れない限り自由にさせていました。
しかし、それは私の杞憂に過ぎませんでした。というのも、崩れるどころか、カリンの身体はますます光り輝いていくかのようだったからです。
それは例えれば、『男の精気を吸い取っているのでは?』と半分本気で思う程でしたよ」
「先生、もう、そんなことまで……」
カリンは、高山に向かってこぶしを振り上げる真似をして見せた。それは、ごく普通に見せる、甘えたときの女の子の仕草であった。僕は、何とはなしに頬が緩んだ。
「ハハハ、すまん、すまん」
それが癖なのか、高山は笑いながら、カラーのシャツの上から、左手で首筋を掻いた。
僕はふとそちらに目を移した。今まで気がつかなかったが、おしゃれなのか、寒いのか、高山のハイカラーの襟には、まるで首をかばうかのように、シャツとほぼ同色のスカーフがしっかり巻かれていた。
「ところがです、いつの頃からか、私は、カリンの身体が微妙に変化していっていることに気が付きました。
どう形容していいかわかりませんが、それは、毎日カリンの裸の身体に接している私の、いわゆる『画家の目』でなければわからないようなものだったのですが……
それと呼応するように、カリンは不思議な力を発揮しだしたのです。なんだと思われますか?」
高山は、さも嬉しそうに、イタズラっぽく僕に問いかけた。
「さあ、僕には見当もつきませんが……」
僕は、いきなり尋ねられたことで戸惑ったということもあったが、実際に見当がつかなかったので正直にそう答えた。
「ははは、そうでしょう! 私も初めは信じられませんでした」
高山は、そこで、またちょっとカリンに顔を向けた。カリンが何か言ったようだったが、それは僕には聞こえなかった。
「それはですね、『カリンと、一度でもベッドを伴にした男性の身の上に、幸不幸を問わず、必ずといって良いほど、ある現象が生じている』というものだったのです。
しかも不思議なのは、幸不幸のいずれの場合においても、それが現れるのは、その男性自身ではなく、彼らが一番愛する者の上に起きているということです」
高山は、ここで、何か気がついたように、
「ところで、カリンの名誉のために一言付け加えておきますが、こういう現象も、幸不幸の区別も、カリンの意思に関係なく起きていることです。また、その男性関係においても、むしろカリンは消極的だったようです」
と付け加えるように言った。
窓の方を向いているため、カリンの表情はわからなかったが、何か頷いたようにも見えた。
「中でも、私が一番興味を魅かれたのは、イギリスでもトップクラスの霊視者に、自分のフィアンセが『一週間後、野良犬に襲われて命を落とす』と宣告された青年の場合でした。
彼が、どこでカリンの噂を聞いたのかは知りませんが、思い余って訪ねてきたのです。それは、予告の日の二日くらい前だったと思います。
もちろん私は断りました。良い方向にいくという保証はありませんし、偶然だと思ってもいましたし、第一これまでの男性は、少なくとも恋愛感情があった上でのことでしたから。
しかし、私の反対を押し切って、カリンはその求めに応じたのです。結果は驚くべきものでした。彼女は、霊視通り、二日後野良犬に襲われました。
どこでだと思います? 何と、用心のため引きこもっていた家の中だったのです。少しだけ開いていた窓から飛び込んできたらしいのですが、大きな犬だったそうです。
当然彼も傍に付いていましたが、恐ろしさで立ちすくんでしまったそうです。ところが、犬が今まさに彼女に飛びかかろうとしたときです!突然天井からシャンデリアが落ちてきて、犬の頭に当たったのです。さしもの猛犬も、これで頭蓋骨を砕かれてしまいました。
地震があった訳ではありませんよ、鎖が古かった訳でもありません。とにかく、不思議としかいいようのない現象が起きたのです。
事ここに至っては、私はカリンの力を認めざるを得ませんでした。私は、カリンと関係のあった男性の調査を開始しました。
何故幸不幸に分かれるのか、どうしたら幸組に入れるのか……そして、ついにその謎が解けたのです。私が、帰国を決めたのはこのときです」
高山の長い話は終わった。これから何が起きようとしているのか、僕ははっきりと理解した。
僕は大きく息をして、右の窓に顔を近づけて外を見た。大分郊外に来ているようで、日はすでに西の空に傾きつつあった。ふと、窓ガラスに、こちらを見ているカリンの顔が写った。
「救いの儀式 その1 カリンの夢」
その場所へ着いたときにはもうすっかり日は暮れていた。たぶん沖縄本島では最先端であろう。
「ここは磁場が違いますから」
高山はそう言った。僕はわからなかったが、言われてみたら何か空気のようなものが違うような気がする。
「ここは昔、民宿ふうの小さいホテルだったのだけれども、子供たちが出ていってしまって、今は誰も住んでいないんですよ。昔は山羊なんかもいたんですけどね〜」
高山はふっと懐かしそうな表情になった。
「そして、後をつぐ人がいなくなり、ご縁があって私が管理しているんです」
と言った。
高山は鍵を開けて、中へと入っていき、僕たちも後に続いた。中に入ると、主なき家とは思えぬほど小奇麗で、今すぐ小さなホテルとして再開できそうに思えた。
僕は一瞬にして疲れが飛ぶような気がした。でもまだこれから大変なことが待っているのだ。
カリンはすでにここへは来たことがあるのか、ロビーのようになっている中央の席に静かに座った。高山もそこに座ったので、僕も座り、高山が説明を始めた。
「最初に儀式のようなものがありますが、これは貴方は眼を閉じておいていただくだけです。その後、貴方とカリンは別の部屋に行っていただきます」
僕は思わずツバを飲み込み、その音が二人に聞こえてしまったのではないかとドキドキした。
「さっそく始めましょう」
高山に促されて、僕たちは二階の部屋に向かった。7_8人部屋だろうか。
部屋の真ん中にいすがあり、僕は座らされて、目を閉じるように指示をされた。だからその後二人が何をしているか、わからなかった。
十分くらい服をこするようなかすかな物音が時々した後、女性の声がした。 メロディをつけて話しているような、歌うような、今まで聞いた事のないような、そんな声だった。
声の主はカリンなのであろう。その歌声のようなものを聞いているうちに、僕はだんだん眠くなってきた。夕べはなかなか寝付けなかったせいだろうか、僕は何度か、意識を失いかけた。
「お疲れさまでした」
高山の声に僕は目がさめた。
「すみません、眠くなってしまって」
僕が言うと、高山は、
「気にしないでください、寝てくださったほうがいいくらいなんです」
と言い、僕たちを下の部屋へと案内した。
「明日朝、9時くらいまで、この部屋をお使いください、その後朝食にします。私はニ階を使いますので、一階はどうぞご自由に使ってくださっていいですよ」
そして僕の耳元に口を寄せると、
「無欲で、ただカリンを愛しなさい」
と言い残すと、カリンと目を合わせて頷き合い、そのまま二階へあがって行った。
高山の案内してくれた部屋に、カリンと二人になると、なんだか居心地が悪く、僕は一旦部屋を出て、用もないのにウロウロと隣の部屋を見に行ったりして、正直いって、かなりこの状況にうろたえていた。
「正樹さん……」
カリンが、ロビーに戻って煙草を吸っていた僕に、部屋から声をかけた。
「はい!」
僕は覚悟を決めて、カリンのいる部屋に向かった。カリンは自分から部屋の明かりを消した。
僕は不器用にカリンの身体を抱いた。カリンの身体は、あまりにも完成されていて、何か実体のないような、そんな不思議な気さえした。
僕は高山のいった言葉を思い出して、ただ彼女を愛することに努めたが、カリンが小さなあえぎ声を出すまで、生身の女性を抱いているような気にならなかったくらいだ。
そして、カリンが尚美にとても良く似ていたので、尚美のことも思い出さない訳にはいかなかった。僕は果てるとき、つい二回尚美の名を呼んでしまった。
部屋の明かりをつけたカリンは、手早く着替えて、部屋から暗い窓の外を見ていた。
僕はカリンに何て話しかけていいのかわからず、黙っていた。僕がこれ以上の沈黙に耐えられず、話しかけようとしたとき、
「夢を見るのよ」
カリンは突然口を開いた。
「夢?」
僕は聞きかえした。
「そう、男性と寝た後に見る夢、二つあるの。一つは、私に何か暗いものが流れてくるの。それを私は両手で受け止めるのよ。そして私は、それを月に返すの、かぐや姫みたいでしょ?」
カリンは自分で言ってクスクスと笑った。
「でも本当なの、夢の中で月はものすごく大きくて、近くにあるの。そう、月が吸収してくれるという感じかしら。その夢はね、少し疲れるけれど、不快ではなく、むしろ安らぐわ。
ただ、もう一つの夢が……」
カリンは最後にちょっと声をおとし、そう言った。
「いやな夢なんだね?」
僕は聞いた。
「そう、その夢はね、顔はとりあえず人間の顔なんだけど、身体は獣……想像つかないかもしれないけど、邪悪そのものという姿の生き物が、複数で、私に向かってくるの。
二人のときもあれば、数十人のときもある。それはとても怖い! 私は逃げて逃げて、そして何とか逃げ切るの。そこで目が覚めるんだけど、気がつくと私はいつもここを押さえているの」
カリンはそう言って、髪をかきあげ、うなじを見せた。そこには車の中でチラッと見えた、赤いあざのようなものがあった。
カリンは続けた。
「半年くらい前かしら、その怖い夢を見た後に、ある場所の景色を見たの。どうしてか日本であるというのはわかったけれど、どこであるかははっきりしなかった。その場所で、私は歌のようなメロディを口ずさんでいたわ。そしたら、その邪悪な力が私から離れていくように感じたの。
そして、そのうちにね、その怖い夢の後だけではなく、頻繁にその場所でそのメロディを口ずさむ夢を見るようになったの。そうしていないと、何か邪悪な影に押し包まれてしまうような気がするの。
それと、何より信じられないほど不思議だったのは、高山さんも、邪悪な生き物に追いかけられて、首の後ろを押さえながら目が覚めるという、同じ夢を見るようになったことなの。それで、高山さんにもこれと同じものが……」
カリンは再び、うなじをかきあげた。
「救いの儀式 その2 罠」
僕は、裸のままぼんやりその姿を見ていた。話でまた上気したからだろうか、その赤い斑点はより赤みを増したように見える。
天井から吊るされた電灯の光が、所々に淡い陰影を作っている。僕に背を向けて立っているカリンにも、やや斜め後方からその光は当たっていた。
それを象徴するかのように、一つの影が、その足元から、白い壁に這い上がるように揺れ動いていた。
えっ……? 影が揺れている? ……動かないカリンの影が動いて……? …… 突然言いようのない恐怖が、僕の全身を支配した。
その途端、『ガチャリ』いきなりドアが開く音がした。ハッとして振り向くと、そこに高山が立っていた。
僕は救われたような思いで、
「高山さん!」
と、裸であることも忘れて思わず駆け寄ろうとした。
高山は、そうした僕の姿を見ると、その顔に何か非常に驚いたような色を浮かべる
と、
「お前、手を抜いたな!」
壁際にいるカリンに、いきなりそう声を荒げた。それは、今までの紳士的な高山の姿ではなかった、カリンは何も答えない。
僕は、その高山の言葉に、わざと手を抜いた? 何のために……カリンは恐ろしい
女? ……そう思うのと同時に、さっきのカリンの不思議な影を思い合わせて愕然とした。
「高山さん……カリンの……」
僕が言い終わらないうちに、高山は僕にギロリと光る目を向けた。瞬間、僕は心臓が凍りついた。
そこに、恐ろしい形相があった。目の色もまるで違っている。それはまさに憎悪に満ちた目であり、顔であった、
これは高山ではない! 混乱と恐怖の中で僕は直感した。
「さあもう一度抱き合ってもらおうか」
そう言う声も、すでに高山のそれではなかった。
「お前は高山さんではないな! 誰だ?!」
僕はかすれた声で、それでも精一杯の声を上げた
「フ フ フ フ 」
まるで、深い洞窟の底から聞こえてくるような、低い不気味な笑い声が部屋に響い
た、
「まさか……お前は大二……」
「やっと気がついたか、そうさ、俺は周造の叔父の大二さ」
「先生をどうしたんですか?!」
いつの間に来ていたのか、僕の背後でカリンが言った。
「何心配することはない、やつの魂にはしばらく眠って貰っているだけだ」
ふいにカリンの片方の手の平が、僕の背に密着した。不思議なことに、急激に心が落ち着いてくるのを覚えた。
「私を騙して正樹さんを罠にはめようとしたのね!」
大二に向かってそう言いながら、カリンは、彼に気付かれないよう、僕の背に手を
当て続けていた。
「フ フ フ、そうだよ、俺はこの日をずっと待っていたんだ。お前たちにはわかるまい、母親と兄に殺されたおれの悔しさが。
俺は、さくに殺される寸前に誓ったのだ! 奴らへの復讐のために、奴らが可愛がっていた清子の産んだ男は、洋平と同じように25の歳に殺してやるってな。
万が一、それが叶わなかったそのときは、今度はそいつの子であれば男でも女でもか
まわない、必ず、25歳になったとき、死ぬより辛い地獄の苦しみを与えてやるってな。
その前でも後でも駄目なのだ、25でなければ俺の復讐にはならないからだ。しかし、周造は、その前に完全に島を離れてしまっていた。
残念なことに、俺の妖力は、さくによってほとんど封じられてしまっていたからな、誰かの身体に入り込まない限り、俺一人の力では島を出ることはできなかったのだ。
しかし、周造に女の子が産まれたのを知った。俺は狂喜した、その娘が25歳になる日を指折り数えて待った。
そして、ついに後1年というときがきた、俺は何とか島から出るチャンスを狙ってい
た。そんなとき、偶然周造がイギリスから帰ってきて、島に来る事を知ったのだ。
しかも、かなり精神的に参っているらしいこともわかった。これは俺にとっては好都合だった、精神も肉体も充実している奴に入り込むのは難し
いからな」
大二は取り付かれたように話し続ける。僕の背のカリンの手は、一段と熱を帯びてきていた。
「俺はまんまと周造の中に入り込む事に成功した。周造と一緒にイギリスに渡って、そこにいるカリンという女をみて、実に不思議な力を持っていることに、俺は大いに興味をそそられた。
言っておくが、その女が奇跡的な現象を起こすからではない、俺はそんなものには興
味はなかった。俺が興味を持ったのは、関係した男たちが、一様にしばらくは失神したようになってしまうことにだ。
そして、周造の娘に男がいる事を知った俺は、面白い復讐の方法を思いついたのだ。この女をうまく騙して、娘の男と、つまりお前だが……関係させ、
お前がぐったりとなっているところに俺が入り込む……そして、フ フ フ……」
大二は、さも意味あり気に口をゆがめて低く笑った。
そのとき、カリンはメロディをつけて話しているような、あの不思議な歌を歌った。
とたん、大二の声は消え、高山の体はそこに倒れた。
「救いの儀式 その3 手掛かりへ向けて」
僕とカリンが、恐る恐る高山のところに駆け寄ると、高山は完全に熟睡していた。カリンと僕は高山をベットに運んだ。
カリンは言った。
「この歌の力のことは、ずっと先生にも説明していなかったの。さっきの儀式のときは、どうしても男性と寝る前に必要だからと、ただ協力してもらったのよ。
この歌は、邪悪なものから自分の身を守る力があるの。でも結果的にこのことが、今の場合、貴方の事も救えたようね」
そう言いながらも、カリンは小さくため息をついた。
「先生が時々おかしいということに気がついたのは、あの夢を見るころだったと思うわ。そして、日本に来ることになり、先生からこの場所のことを聞いたとき、何かピンとくるものがあったの。だから、ここに来ることは一種の賭けだった。
私の力の意味を知るために、先生が本当は何をたくらんでいるのか知るためにも。けれど、その賭けは成功だった。先生の身体の中に入っていたのは、大二の邪悪な魂だということがわかった。
そしてもう一つ、この場所が夢で感じていた「ある所」だということも。本物の先生は、知らず知らずのうちに、二人にとって都合の良い場所を選んでいたのね。
そういうことがわかれば、私自身は、あの得体の知れない邪悪な影から身を守り、そして、先生を大二から守るためにも、この場所にいるのが一番だけど、でも、だからといって、私も先生も、このままずっとここにいる訳にはいかないの。向こうで、とても大きな大事な仕事が控えているの」
僕は言った。
「わかりました、でも、僕はカリンさんに助けてもらいましたし、それに、尚美のことでも本当に申し訳ないと思っています。カリンさん! 僕は必ず、良い案を持ってきますから、もう少しここにいてはもらえませんか?
確実に尚美を助けるためにも、高山さんのためにも、高山さんの中からあの男を出したい! 僕は必死になって考え、またどんなことでもします」
しかし、そうは言ったものの、実際のところ、僕にはいい案など何もなかった。ただ、高山さんとカリンがここを離れる事はとても危ない気がした。
カリンもまた同様にそれを感じていたようであった。
「正樹さん、わかったわ、私も先生もしばらくここを離れないようにするわ」
カリンはそう言い、高山の車のスペアキーと、まとまった現金を僕に渡した。高山は、次の日の夕方まで寝続けていた。
僕はカリンに指示された必要な日用品や食品などの買い物をしてきた。スーパーを探して、車で走ると、沖縄の青い空と海が、瞳に心地よかった。
しかし、僕にはそれを楽しむ余裕はなかった。カリンは暇さえあれば、歌を歌い、自分の身と高山を守っていた。
高山は夕方目覚めたが、きのうのことはまったく覚えていなかった。僕達は高山に真実を話した。
僕はなんとしても、この状況を打破する手がかりを掴まなくては、と思っていた。ただ、僕も一端東京へ戻らなければならなかった。
今回は週末を利用して来ているので、明日には出社しなければならないのだ。しかし、まだかなり有給休暇が残っている。それを利用してとんぼ帰りしてこよう。
僕は、あるイベント会社の企画部で、主に企画立案を担当しているのだが、こういうときは、僕の立場は非常に都合がよかった。
『休暇を利用して、ついでにいろんなイベントを見てきます』とでも申し出れば、他のスタッフもいることだし、まず許可されないことはないだろう。
僕はそう決心すると、残る二人に相談した。
「なるべく早く帰ってきてね」
カリンはそう言って、背伸びするように僕にキスをした。僕は少しうろたえたが、返事の代わりにカリンの体を強く抱きしめた。昨夜の事が熱く思い出された。
昨夜のカリンは、本気で燃えてはいなかった。何かを感じて、無意識に自制したのだろうか? いや、というより、心も体もなにか泣いているような感じ、とでも表現した方が正しいかも知れない。
僕は、いつの日か、カリンのすべてを開放することができたとき、もう一度抱き合うことがあるのではないか? ……ふと、そんなことを頭の片隅で思った。
「ユタの島 その1 希望を求めて」
東京へ戻った僕は、早速、会社に休暇届を出して許可されると、まず一番気がかりだった尚美の様子を知りたいと思った。
僕は尚美の携帯番号を押した。5回くらいの呼び出し音で尚美が出た。
「あまり連絡できなくてごめん」
僕は開口一番、尚美に謝った。尚美は、しばらく黙っていた。
そして、
「今、どこにいるの?」
と、聞いたが、その調子にはどこかなげやりな響きがあって、僕は悲しくなった。
「一旦東京に帰ってきた、でもまた沖縄に戻らないとならないんだ。今は詳しいわけは言えないけど、でも僕を信じて欲しいんだ」
僕は言った。
しかし、尚美をどんなに不安にさせているだろうと、気持ちは重かった。
「いったい何を、どういうふうに、信じろというのよ!」
尚美はそう言って電話を切った。
僕は、いきなり電話を切られて、ショックではあったが、尚美を追い詰めているのは、尚美のためとはいえ、僕でもある。
とにかく僕は重い足取りで、すぐに東京を離れることにした。
飛行機と船を乗り継いで、やっと着いた離島は、ほんとうに何もない小さな島だった。
僕はほんの少しでもなんらかの手がかりをつかもうと、高山から紹介された、高山の友達に会うために、沖縄の離島へ向った。
僕は高山から教えてもらった電話番号を回した。
「あ、進藤ですが、村井さんですか?」
と僕が言うと、村井良一は明るい声で答えた。
「昨晩、高山から話は聞きました、今行きますから待っていてください」
村井は車で、小さな島を案内してくれた。
コンビニよりも小さい、日用品を買える店があるだけで、後は青い海が広がっているだけのなにもない島だったが、
15年ほど前、小さなホテルができて、この手つかずの島に魅せられた常連の観光客が、 いろんな所から、けっこう来るようにもなったのだという。
村井は少し高台に車を止めて、僕に降りるように促した。そして海の向こうを指差して、
「ほら、あそこに島が見えるでしょう、私や高山はこの島で育ちましたが、実はあの島で畑と、ちょっとした工場をやってましてね〜」
村井が指差した島は、僕にとっては近いような、遠いような、距離感がわからなかった。
村井は海を見つめながら言った。
「あの時、尚美さんを助けた不思議な縁がつながっていて、こうしてあなたと出会っている。
私の家はユタの子孫でもなく、そういう力もありませんが、高山とは祖父の世代からのつながりで、祖父と一緒に昔はよく祈っていました。
明日は、さくさんのお墓に一緒に参りましょう。今回のことでは、さくさんが一番悲しんでおられるでしょうし。何らかの解決策を与えてくれるかもしれません。
何といっても、あなたはさくさんの孫の尚美さんを愛しておられるのだから、きっと大丈夫ですよ」
不思議なことに村井にそう言われると、僕もそんな気がしてきた。
村井は、自分の兄夫婦の家に案内してくれた。村井は島に来たときにはここへ泊まるのだという。
「何も気を使わないでいいですから」
と村井は笑って言った。
僕は恐縮してしまったが、とても温かくもてなされ、彼らの話す沖縄方言を、村井の通訳で聞きながら、その楽しいひとときにすっかり気持ちが安らいでしまっていた。
夜遅く、用意してくれた寝室に向かい、僕はすぐに睡魔に襲われた。そして朝方だろうか、僕はカリンが見たという、大きな月の夢を見た。
次の日、さくのお墓に行った。沖縄のお墓は、形も本州とはまったく違って大きく、墓でありながら伸びやかな感じがした。
僕は墓の前で真剣に祈った。
「さくさん、どうか高山さんや尚美を助けてください、僕は何でもしますから」
ふっと、僕の顔に風がかかったような気がした。やわらかな羽のような毛が当たったように思えた。
僕はなんだか一人になりたいような気がして、
「少し散歩をしたい」
と、村井に言った。
島の端から端に行っても、迷うこともない、小さな島だったから、僕は安心して海沿いを歩いた。
足が少し疲れてきて、僕は海沿いの木の下で少し休んで、これからのことを考えていた。
海を見ていたら、心地よい風が吹いてきて、僕はついウトウトとし始めた。夢うつつだったので、果たして夢だったのか、現実だったのかはわからない。
にこやかなおばあさんが自分の前に立ち、大きな棒状のとても不思議な形の貝殻を手に持ち、それで自分の首のうしろをなでているのだ。
おばあさんは、その棒状の貝殻を僕に手渡して目でうなずいた。僕はそこで目がさめた。でも手にはしっかりその棒状の貝殻を持っていた。もちろん、おばあさんの姿はもうなかった。
僕はその貝殻を持って、あわてて帰り、その話を村井にした。そして、『首』ということについてカリンと高山の首の赤いアザの話もした。
村井は僕の話を聞いた後、ちょっと考えるようにしていたが、やがて言った。
「ユタの島 その2 洋平の恋」
「不思議な話ですね、でもユタの力からしてみればうなずける話ですが……」
そして続けて言った。
「実は私の方にも面白い話があるのです」
「エッ? どういう事ですか?」
「うん、その前に訊いておきたいのだけれど、ひょっとしてその、『カリン』
という娘のアザは、はっきり現れたり、あるいは薄くなったりするのではないですか?」
僕は驚いて村井の顔を見た。
「そうなんですね、やはり……」
村井は、僕の様子でそれとわかったのであろう、一つ頷くとそう言った。
「でも……村井さんがどうしてそのことを……」
「いや、正確にいえば推測ですが、あるいはそうかもという気がしていたのです。ただ、これはまったくの偶然なのですが……」
と、前置きして村井は話し出した。
「それは、東京出張から帰った直後のことでした。そうです、偶然尚美さんとお会いしたときの、あの出張です。
私は、かねてから、仕事の合間には、趣味で郷土史も研究していました。そんなことで知り合いになった、本島にいる郷土史家の方から『面白いものが見つかったから見に来ないか』と電話をもらったのです。
もちろん私はすぐ飛んで行きました。その友人というのは、元薩摩藩の蘭方医で、維新後は、奥様の郷里である沖縄で医者を開業していた、『佐々木良庵』
という方の子孫だということですが、
医者の家は戦争前に廃業したとかで、現在の彼は、高校で教壇に立っているのですが……その彼がいうには、何でも二代目良庵、つまり彼の祖祖父に当たる方の頃に、その弟子によって書かれたと思われる日記が見つかったというのです。
その日記には、当時の流行病だとか、それに用いられた薬だとか、その他、患者の氏名などの治療に関する事柄のほか、日常の出来事についても詳しく書かれてありました。
私に『面白いもの』と言ったのは、その患者の中に『高山洋平』
の名があり、しかも、その洋平に関する記述の中に、とても興味深い箇所を見つけたからだったのです。
彼もまた、ユタの家系についての知識は持っていましたからね。なるほど彼がいうように、その内容は、実に興味深いものでした」
村井はそこまで話すと、ポケットから煙草を取り出して火を点け、気持ちを落ち着かせるように一服吸うと、また口を開いた。
「私も、自分の目でそれを確認して、少なからず興奮しました。それによると、当時良庵の元には、この弟子の他にもう一人女の弟子がいたようで、名前を『菊子』といいました。
洋平は当時22歳くらいで、良庵の元を訪れたのは、首にできた腫れ物の切除だったようです。
それは良いのですが、治るまでの2_3日、良庵の家に泊まっていた洋平と、その菊子とが恋仲になってしまったのです。
その後も二人は度々偲び合うようになっていき、そしていつしか、菊子は、洋平の子を身ごもったのです。しかし、洋平はユタの後継者として、島で暮らすことを義務づけられていました。
菊子にもまた、医学の道で一生を捧げたいという、強い思いがありました。そんなことで、二人は一緒になることはできませんでした。
その後、菊子は女の子を産み、良庵の元で働きながらその子を育てました。洋平もまた、母親のさくに内緒で、ひと月に一度は顔を見せていました。洋平は、さくには、子供のことはもちろん、菊子の事も秘密にしていたようです。
そんなとき、あの事件が起きたのです。不思議なのは、産まれた子は二歳だったそうですが、洋平が死んだ直後から、首の後ろに、赤いアザのようなものが、かすかに浮いたり消えたりするようになったことです。
良庵も不思議に思って、いろいろ調べたようですが皆目わからなかったようです。そして、洋平が死んでからというものは、あれほど頑張っていた菊子もだんだん元気がなくなり、
ついに、医学への志もあきらめ、幼子を連れてどこかへ出て行ったそうです。その後のことはわからないようで、その日記にも書いてありませんでした。
私は、あなたからその『カリン』という娘が尚美さんにそっくりだと聞いたとき、そして今また、首にあるという赤いアザの事を知り、この話を思い出したのです」
僕は、言葉もなく、尚美によく似たカリンを思い出していた。
「尚美、カリン、高山さん……」
僕は独り言のようにつぶやき、ユタの血筋の、その引き合う強い力を感じて、あまりの 衝撃で、言葉も見つからなかった。
そして、僕の見たおばあさんは、紛れも無く『さく』であると、なぜか思った。きっとみんなを大二の呪いから守れると、どうしてだか僕はその時に確信した。
「ユタの島 その4 竜の箱」
僕は言った。
「この話を、高山さんとカリンにしてもいいですか?」
村井は少し考えていたが、
「私から話しましょう、私も高山に会いに行きます。実はためしたいものがあるのです、ちょっと待ってください」
村井はそう言って、奥の部屋へ行った。そして、古い木の箱を持ってきた。
それは、両手でひと抱えくらいの大きさの箱だった。木の蓋と側面にはなんとも不思議な模様の木彫りがされていた。
「見てください」
村井はそう言って、箱を開けた。
箱の中にも木彫りがされていて、その真ん中に大きな龍の絵が掘られていた。
見ていると吸い込まれるような力のある不思議な絵だった。
「先祖がこの箱をどのように手に入れたかはわかってはいません。けれど、この箱には、浄化の力があるのです」
と、村井は言った。
「浄化?」
僕は聞いた。
「そうです、昔、子供のころですが、友達とちょっと喧嘩をしましてね、まあ、子供の喧嘩ですから、それほどたいしたことはなかったのですが、その次の日に、私は原因不明の熱を出しました。
熱はなかなか下がらず、ユタへ相談に行こうと母が思案していた矢先に、祖母が、この箱に小さなタオルを入れて、祈りをささげて、そのタオルを僕の額へ当てたんです。
すると、私の熱はあっという間にひきました。母はタオルを当てた瞬間に、私の頭から黒い煙のようなものが昇っていくのを見たそうです。
祖母は『良一はよっぽど、友達の恨みを買ったんね〜』と笑っていましたが……
あなたの持ってきたその細長い貝殻と、あなたの話を聞いて、この箱のことを思い出
し、この箱の力が使えるのでは、と思ったのです。
私は、もしかしたら、首のアザがある意味、呪いの経路になっているような気がしま
す。その経路をふさぐ、すなわち、浄化すれば、大二の呪いも行き場所がなくなるのでは
ないでしょうか。
私は、祖母が箱の前で祈ったやり方を何となく覚えていますから、それをやってみましょう」
村井は、煙草の火を灰皿に強く押し付け、
「そうしましょう」
と、自分自身にも言い聞かせるように言った。
そして村井は、僕が持ってきた棒状の形の貝殻をその箱に入れた。
「対決 その1 カリンの夢の謎」
その日の夕方、次第に遠くなっていく島を見つめながら、僕は本島に向かう船のデッキにもたれて、一人考え込んでいた。
カリンが洋平の血を継いでいるとすると……高山の中の大二に、そのことを気付かれてはいないだろうか?
また、あの二つの不思議な夢は、どう考えたら良いのだろうか?
一つ目の、悪いものを吸収してくれるような大きな月というのは、洋平の『人々を救いたい』という優しい魂の象徴だと考えられるのだが、 もう一つの、邪悪な生き物が現れる夢というのは……?
「どうしました? 大丈夫ですよ! きっとうまくいきます」
背後から村井の声がした。
いつの間に来ていたのか、例の箱を包んだ風呂敷包みを大事そうに抱えた村井が立っていた。
僕は、僕の懸念と、まだ話していなかったカリンの夢の話と、それに対しての考えを村井に話した。
「なるほど、おそらくそれはこういうことでしょう」
村井は即座に答えた。
「人間が今でも闇を恐れるのは、まだ火を持たなかった太古の昔、闇夜に、常に肉食動物に狙われていた記憶が、遺伝子として刷り込まれているからだ、
という話を聞いたことがあります。
もちろん意味合いは違いますが、それと同じような現象が起きているのではないかと
思うのです。あなたの言うように、月に象徴されるのは、本来の洋平の魂だと考えて良いでしょうが、
実は、邪悪な方も洋平の魂なのです。つまり、いくら人々の幸せのためとはいえ、実の弟を葬ろうとした行為は、心優しい洋平にとっては、とても許されないものだったのではないでしょうか。
そういう慙愧の念に凝り固まった思いが、いつしか自分自身を憎悪するということに
なって、その憎悪だけが独り立ちして『顔は人間だが、体は獣』
という怪物の姿になって現れているのではないでしょうか」
「ああ、なるほど……それならわかる気がします」
僕は頷いた。それと同時に、今更ながら村井の慧眼に驚いた。まったくこの村井という人は……
きのうからの付き合いで感じていた、彼の人間的な魅力とも相まって、僕には傍にいる村井がとても大きく見えた。この人を訪ねてきて本当に良かった! としみじみ思った。
「ただ、あなたの心配している、カリンさんのことが大二に悟られはしないか? ということについては、やはり私も気がかりです。何といっても彼女は、一番憎んでいる洋平の子孫ですからね。
いくら妖力が弱っているとはいえ、思いもかけない力を生み出すかも知れません。そうなると、カリンさんでも抑えられないかも知れませんから……」
村井は少し厳しい顔になって言った。
その時だった。村井の傍らにある箱から、キシキシと割れるような音がした。僕らは顔を見合わせ、箱を見つめた。
村井は風呂敷を解いて、箱を開けた。しかし、箱には何も変化はなく、中に入っている棒状の貝殻にも変化はなかった。
「なんの音だったのでしょう?」
僕はこわごわ村井に聞いた。
「浄化の力を強めるための音だったのかもしれません」
村井は神妙な顔で言った。
「対決 その2 終焉」
夜、本島に着くと、僕たちはまっすぐに、高山とカリンがいる場所へ向かった。車の音がしたからか、カリンはもう入り口で僕たちを待っていた。 村井とカリンは入り口で自己紹介をして、中へ入った。
「先生なんですが……」
カリンは言った。
「今お休みになっているのですけれど、実はあれから、起きている時間が、一日のうちでほんの数時間なんですよ、ほんとうに死んだように寝ている、という表現がぴったりな感じで、私は何度か、心配で、息をしているのを確かめたくらいなんです」
高山の休んでいる部屋に入ると、高山はほんとうに熟睡していて、ちょっとやそっとでは起きそうになかった。そこで、夜も遅かったので、僕たちも休ませてもらうことにした。
村井と僕は同じ部屋に寝ることになり、僕たちは着替えて寝床に入った。村井は寝つきがいいのか、すぐに寝息が聞こえてきた。
僕はいろいろ考えてなかなか寝付くことができず、やっとウトウトしたが、明け方、僕は、箱がきしきし鳴るのを聞いて、何度も目が覚めてしまった。
朝、村井が目覚めたときに、僕はそのことを言った。村井は何も言わず、神妙な顔をして箱を見つめた。
朝になっても、高山はまだ目覚めなかった。僕とカリンと村井で、軽い朝食を摂った後に、村井はカリンに箱を見せて、その箱の力についての説明をした。
カリンは熱心に聞きながら、その箱をなぜか懐かしそうになでていた。そのとき、村井はふいに言った。
「太陽がちょうど真上に来る時間帯が良い、私たちが守られる、呼び出してみたいの
だが」
カリンは決心したように、大きく頷いた。
昼少し前、村井は箱から、棒状の貝殻を取り出し、僕達は高山の寝ている部屋へ入
った。高山の寝息だけが静かに聞こえ、他の物音は何一つしなかった。
「出てきなさい」
村井は深く静かに言った。 カリンは朝からあの歌は歌ってはいなかった。
その途端、高山が勢い良く、半身を起こした。その勢いに、僕は思わず後ずさりしてしまった。 高山がこちらを睨んだ。その目は、先日見た高山に入り込んでいる大二の目であった。
「やっと出てこれた! 歌が聞こえると、うまく入れ替われなくなる。歌うな!」
大二は憎悪の眼をカリンに向けた。しかし、大二はカリンに対して、それ以上のことは気がついてはいないようだった。そして大二は村井に眼を向け、村井の手に持つ、棒状の貝殻に眼をやった。
「そ、それ……」
大二がほんの少し動揺したように思えた。カリンが倒れたのはそのときだった。
「カリン!」
僕は慌ててカリンを起こそうとしたが、カリンはすぐに起き、カリンの声ではない、年をとった女性の声が言った。
「大二……大二、許して! おかんがみんな悪かったんだ」
さくである、と僕はすぐにわかった。大二は、憎悪の瞳のまま言った。
「おかんか、ずっと憎んできた、会いたくなんてなかった!」
さくは、村井の手から棒状の貝殻を取ると言った。
「大二の子供の頃の宝物だったこの貝殻を、おかんはずっと大切にしてきた。 乱暴ものでも、大事な息子だったんだ。愛していたんよ、信じて」
さくはむせび泣いて、更に言った。
「大二、そこから離れて、もう一度おかんの子供になって」
「うるさい! 黙れ!」
大二は言って、立ち上がって、カリンの近くへ来ようとした。僕はとっさに、貝殻を取り、カリンの首に当てた。すると、大二は見えない壁があるかのように、カリンの近くには来れなかった。
さくは続けて言った。
「赤ん坊から始められるんよ、大二、もう苦しまなくていいんだから。もう一度、おかんの子供に。だからそこから離れるんよ」
大二の憎悪の瞳が少し変化したように思えた。
「黙れ! 黙れ!」
大二は同じ言葉を繰り返していたが、やがてへなへなとその場に力なく倒れこんだ。
村井が、その隙に、高山の首に貝殻を当てた。貝殻の側面が、高山の首に磁石のように吸い付き、村井の手から離れ、そして粉々に空中分解した。
そのとたん、どこからともなく、生まれたての赤ん坊の泣き声が聞こえ、高山が寝ていたベットの上が白い霧のようなものに包まれ、さくが赤ん坊を抱いている姿が一瞬見えた。
やがてさくは僕たちに頭を下げて、霧が消えるのと同時に、僕達の視界から消えた。
そして、そのとき僕は見た。直後、カリンの身体から、黒い核を取り囲むように包み込んだ光の輪が飛び出して、まるで遅れまいとするかのように、その後を追って行ったのを!
僕は咄嗟に村井の顔を見た。
「ああ、洋平さんが……これでいい、これですべてが終わった……」
村井が独り言のように呟いた。
「別離 その1 戒めの文字」
翌日……
僕たち4人は例の神社に来ていた。昨夜、すっかり自分を取り戻した高山が、村井と僕とで全てのいきさつを説明し終わった後、
「一度あの絵馬を見て来ようと思う」
と言い出したのである。
「ああ、それがいいだろう、もう何も心配ないし、供養にもなる」
そう村井が言うのを聞いて、
「私も見たいわ! その洋平爺ちゃん……」
自分が洋平の曾孫かも知れないと知って、カリンも乗り気になって口をはさんだ。首のアザは消え、その屈託のない笑顔が可愛かった。当然高山のアザもなくなっていた。
「じゃあ僕も行きます」
と、僕も思わず手を挙げていた。
「よーし! それならみんなで行くとしようか、実は私も見たかったんだ、ハハハ」
村井がちょっと照れたように言って笑った。
絵馬は、絵馬堂のほぼ中央に掲げてあった。クモの巣がかかり、風雨にさらされて色あせているところは、いかにも時代を感じさせた。
「なるほど! さく婆さんはたいしたものだ」
画家の目に戻って、高山は感嘆したように言った。僕たち4人は黙って手を合わせた。皆それぞれの思いは同じであった。
しばらくして、
「あの裏に書かれている戒めの言葉を、消してあげた方がいいんじゃないかなあ?」
まだじっと絵馬を見上げている高山に向かって、村井が言った。
「僕もそう思います。赤ちゃんになった大二さんにもう何の罪もないのですから……」
「うん、それは私も考えていた、それに、単に見事な芸術作品として、ここに来た人たちにこの絵馬を見てもらいたいしね」
高山のその言い方が、いかにも芸術家らしく、僕は嬉しかった。
僕は、事情を話して隣の家から長い梯子を借りてくると、イベントの設営で培った身軽さで、スルスルと梯子をよじ登り、すぐに絵馬を外して、丁寧に高山に渡した。
「ウワー 正樹さんすごいー! まるでお猿さんみたい!」
下で心配そうに見守っていたカリンが、目を見張って手を叩いた。
「ほんとにすごいじゃないか正樹君、私の農園を手伝ってくれないか? ア ハ ハ
」
村井も、冗談とも本気ともつかぬような調子でそんな事を言った。誰の顔にも笑顔があふれていた。
絵馬を受け取った高山は、すぐに裏返してホコリを手で払い、そのままじっと見て
いたが、やがて一つ頷くと、それを掲げるようにして皆に見せた。
一瞬僕たちは緊張した。90年の歳月がそこにあった。ユタの哀しい歴史のひとこまがそこにあった。
「うーん……」
村井が感服したように唸った。
「これがさくさんの筆か、恐ろしいほどの達筆だなあ! 消すのがもったいなくなるよ」
村井は本当に惜しそうにそう付け加えたが、後で聞いた話によると、村井は書道にも精通しているということだった。
高山は手ごろな角張った石を一つ拾うと、まだ惜しそうにしている村井の目を受け
ながら、その石の角でゴリゴリと文字を削り取っていった。
何かで塗り潰すものとばかり思っていた僕は、不思議に思って村井の顔を見た。村井はそんな僕の思いがわかったのか、何も口には出さなかったが、
『これでいい、これでいいのだ』と言うように、何度も頷いて見せた。
後で、村井はこう言って教えてくれた。
「墨で板や木肌に書かれた文字は、例え、同じように上から真っ黒に塗り潰しても意
味がないのです。それは単に見えなくなったということに過ぎず、書かれていることには変わりはないのです。
特に、あれだけの達筆で、しかも強い意志が表れた文字になると尚更です。痕跡一つ残らないよう、削り取ってしまうのが一番良いのです」
「別離 その2 再出発」
その後、高山と村井は、共通の友達に逢いに行くことになり、僕とカリンはホテル
に戻ることにした。
きのう、僕たちはあの場所を離れ、那覇市街のホテルをとったが、仕事のこともあって、カリンと高山は、明日には沖縄をたち、イギリスへの帰路につくと言う。
高山に尚美と会わないのかと訊いたが、また改めてゆっくり来たい、と言った。確かに、もう焦る必要はないのだ。
真実を知ったら尚美はびっくりするだろう。尚美の心の準備も必要である。僕はこれから尚美の心の動揺もしっかりと支えていくつもりでいる。
ホテルに着いたが、まだ夜も浅かったので、カリンは僕に部屋へ来て話さないかと
言った。そういえば、カリンと寝たあの夜以来、カリンと二人になったことはなかった。
シングルの部屋は、二人でいると妙に狭く感じ、ベットだけがその存在を主張して
いる気がする。
僕は、
「でも、疲れた〜」
と言い、下心はないというように、豪快に大の字にベットに倒れこんだ。
カリンはくすっと笑い、
「ほんとうね、でもあなたの活躍と行動力はすごかったわ」
と言った。
そして僕たちはお互いの仕事の話などを少しした。時々笑う、カリンの屈託のない笑みがかわいらしく、僕は話ながら何度も、カリンの形の良いバストを思い出してしまった。
僕はカリンにキスをしたい気持ちを抑えることが出来なくなっていた。カリンが立ち上がって窓のところに行ったので、僕は後ろからカリンを抱きしめ、ベットに倒した。
カリンは黙って僕に身を任せてきた。カリンの唇はやわらかく、なぜか少しひんやりしているような気がした。
カリンの息づかいから、先回抱いた時とは違い、最初から生身の女性を感じた。カリンはしだいに泣き声のようなあえぎ声を出し、カリンがいったのを確認して僕も終えた。
カリンは裸体のまま、乱れたシーツを整え、ベットに散乱した服をまとめていた。
「また会える?」
僕は訊いた。
カリンは静かに、けれども大きく首をふった。
それが僕の本心ではないということがカリンにもわかっていたのだと思う。
別れの日だった。
村井はそのまましばらく本島に残ると言い、ホテルで別れ、高山とカリンと僕は空港へ向かった。
羽田で僕たちは別れた。カリンは僕の手をとり、
「あなたを忘れないわ」
と言った。カリンの少し潤んだ寂しげな瞳を見て、僕も寂しくなった。僕もカリンを忘れないだろう。
成田空港へ向かう、高山とカリンを乗せて発車した電車を見送って僕はいつまでも
たたずんでいた。
次の日、僕は尚美に電話をした。僕は尚美が家にいる時間帯をきき、尚美に有無をいわさずに、 尚美の家に行く、とても大事な話があるんだ、と言っ
た。
そして照れくさかったが、僕は、尚美を愛している、と言った。
チャイムを押すと、尚美が出てきた。僕は玄関ですぐに尚美を抱きしめて、尚美にキスをした。
尚美の唇は温かかった。そのせいか、少しひんやりした感じがしたカリンの唇を思い出してしまった。
そして僕は、カリンの唇の感触だけが現実で、他はみんな夢を見ていたような、一瞬そんな錯覚を覚えた。 |